如何《いか》にもかう、初冬《しよとう》の一夜《いちや》といふやうな感《かん》じを起させました。晝のうちはあんなにほか/\と暖《あたゝ》かくしてゐながら、なんとなく袂《たもと》をふく風《かぜ》がうそ寒《さむ》く、去年《きよねん》のシヨールの藏《しま》ひ場所《ばしよ》なぞを考《かんが》へさせられたりしました。時候《じこう》の變《かは》り目《め》といふものは、妙《めう》に心細《こゝろぼそ》いやうな氣のするものですね、これはあながち不自由《ふじいう》に暮《くら》してゐるばかりではないでせうよ。
私の手《て》はいつの間《ま》にか腋《わき》の下《した》に潛《くゞ》つてゐました。私は東明館前《とうめいくわんまへ》から右《みぎ》に折《を》れて、譯《わけ》もなく明《あか》るく賑《にぎや》かな街《まち》の片側《かたがは》を、店々《みせ/\》に添《そ》うて神保町《じんぼうちやう》の方《はう》へと歩いて行きました。ある唐物屋《たうぶつや》の中《うち》からは、私の嫌《きら》ひなものゝ一つである蓄音機《ちくおんき》の浪花節《なにはぶし》が、いやに不自然《ふしぜん》な聲《こゑ》を出して人足《ひとあし》をとめようとしてゐましたが、誰《たれ》もちよいと振《ふ》りかへつたまゝでそゝくさ行き過ぎるのが、「もうぢきに冬《ふゆ》が來るぞ、ぐづ/\してはゐられやしない。」とでもいつてるやうに思へて、なんとなくものわびしい氣持《きもち》がするのでした。
ふと繪葉書屋《ゑはがきや》の表《おもて》につり出した硝子張《がらすば》りの額《がく》の中に見《み》るともない眼《め》をとめると、それはみんななにがし劇場《げきぢやう》の女優《ぢよいう》の繪葉書で、どれもこれもかね/″\見馴《みな》れた素顏《すがほ》のでした。今|初《はじ》めてつく/″\とそれを見れば、長《なが》い顏、丸《まる》い顏、眼のつツたのや口《くち》の大きいのと、さまざまなうちにも、おしなべてみんなが年《とし》を取《と》りましたこと。私は暫《しばら》くたちどまつてぢいとそれらの顏々を見まもりました。なんとなくあさましいやうな、情《なさ》けないやうな氣がしみ/″\として來て、思はず知《し》らず顏がそむけられました。あゝ、さま/″\な批評《ひゝやう》に弄《もてあそ》ばれながら、繪葉書の上《うへ》に老《お》いて行く女優|達《たち》の顏!これらがやがて色《いろ
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