といふ診斷を貰つて、別にしよげたやうな顏もせず、私はその門を出たのでした。飽くまでも空想ずきな私は、もしその時別に何でもないと醫者に言はれたならば、恐らく却つてある淡い失望を感じたことだつたのでせう。
十四
ちようど三角の一線が萎縮したやうな私の病氣は、絶えずある程度な距離をもつて交渉してゐたあなたやAを、急に自分に引き寄せてしまつたやうな觀を呈しました。
自分が病んでどれほど健康の尊いかを知つてゐたあなたは、その健康の恢復を望む以外にすべての要求を私から去り、ともすれば自分自身の上にのみ向けやうとしてゐた注意を私の方へ轉回させ、さうしてそこに可憐なる者を發見し、自覺したる愛情をもつて私をいたはり助けました。
その喜と幸福とを私が漸く贏ち得たときには、私は更に肋膜の方も侵されて、發熱や、不眠や、呼吸困難やのために横つてゐたのでした。けれども、私は初めて全身を擧げてあなたの腕に抱かれるやうな心安さと、精神の緊張と共にだんだんあなたの健康の恢復されて行くのを見る事とによつて、私はしかも樂に、寧ろ喜をさへ感じて自分の病氣を眺めたのでした。
その時Aがまた急に私の心へ接近して來たことを、私はひそかに感じてゐました。これまであの人と私とは、別に申し合せこそしなかつたけれど、互にこゝより先へは一歩も踏み入れてならないといふ所まで來て、自由に敬愛し信頼してその交友を續けて來ました。さうして私も彼も、敢て一歩をその柵内に踏み入れやうとは決して願ひませんでした。それは却つて吾々の交友のをはりであり、これ以上を近づけば却つて離れ去らなければならぬのを、私達の良心はよく知つてゐました。けれども、病氣といふものはたまたま吾々の心をロマンチツクな傾向に導きます。殊にそれが肺病といふ時に於て、吾々はたやすく自分及び自分の周圍に、ある小説的な事件を空想したがるものでした。
次の日記は、その後の私達の行動を、初めてあなたに語るでありませう。併しそれは別に日記として私が文字に記して置いたものではなく、私はただそれを明に心に記臆してゐます。今その記臆から、私が日記體としてそれを拔萃しようとするのは、その當時の情意をありのまゝにさらけ出したいからで、多少振り返つた形で書いてゐると、ともすれば自分を辯解し飾らうとする氣味が、知らず識らずの間に出て來るのを防ぐためです。それは私
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