る。あの人に甘える。さうしてあの人が、私と同じ心持に引下つて来ないといつて脹《ふく》れる。泣く、笑ふ、さういふ異常な感情がたゞ私を慰める。私は自らその感情を高めて行くことに努める。
「ねえ、あなたねえ、あなたは今に必とね、第二の恋をしますよ。」と、私はふとこんなことを思ひ出して云ふ。
「どうして?」
「私とはまるで性格の違つた、私の持つてないものを持つてる、しをらしい、若い女に!」
「さうかも知れないね。」
 あの人は鼻のあたりに擽《くすぐ》つたい笑ひを漂はせてる。すると、私は妙にそれが小憎らしく、また、訳のわからない嫉妬が芽ぐんで来る。
「もう、あるのかも知れないわ!」
「さうかも知れないよ。」
 すると、私はぐいとあの人の口を拈《ひね》る。調戯《からか》はれるのだとは知りながら、それでも憎しみが力強く湧いて来る。
「あつたらどうするい?」
 あの人は面白がつて言ひ重ねる。
「その時には私にも考へがあるわ。」
「どんな考へ?」
 私はじいつと自分の心持を考へて見る。さういふ場合がほんとにあつたとしてみると、私はやつぱり腹たゝしい。うら佗びしくもある。
「いゝの。さうなつても仕方がないの、サアシヤがこんな女だから無理がないんだもの!」
 自ら自分に痛手を負はせることは、自ら見放したものに取つて一つの痛い快さである。私はすでにその場に置かれたかのやうに打萎れて、袂の先などをいぢつくつて[#「いぢつくつて」はママ]居る。
「実はね、可愛いのが一人あるんだよ。」と、わざと声を低めて、私の顔近く寄せていふあの人の頬を、不思議な憎しみに駆られて、私は思はずぴしやりと平手で打つ。そしてはつとして慄へるやうな心を、保護するやうにいつか涙が私の瞼《まぶた》に出て居る。瞬くとはら/\と涙がこぼれる。思はぬ助けを得たやうに、私はその涙に頼つて、悲しさの甘い快さの中に溶け入らうと努める。
「馬鹿だね、自分から言ひ出したこつちやないか。嫉妬の快感を味はつてやがる!」
 何が今悲しいといふ訳もなく、悲しかつた記憶や、悲しからうと思ふ空想の中に、私はあとから/\と涙を見出して行く。
「嘘さあ、そんなことは嘘さあ。」と、慰めるやうな囁《ささや》きがやがて聞える頃、私はあの人の膝につっぷして、かさ/\に乾いた胸を潤すやうな、涙の快さに浸つて居る。
「そんなにヒステリカルになつちや仕様がないぢやないか。もつと確りしなくちやあ。」と、あの人は宥《なだ》めるやうに云ふ。だのに、私はしかもそれを望んで居る。男を困らせたり、足手纏ひになつたり、意気地がなかつたりするやうな、つまらない、仕様のない女と自分をすることが、今の私を最もよく慰める。それが私に最もよく復讐をする。

 或日。Nさんが遊びに見える。あの人は留守だつた。その二三日前、あの人がNさんを訪ねた話が出たあと、Nさんはふと思ひ出したやうに、何かもの言ひたげの顔をして居る。私は直ぐに悟つた。
「なんか言つたんでせう? 私のこと。」
 Nさんは笑つて居る。
「腐つてるやうだつて?」
 私の顔には、皮肉な尖つた笑ひが泛《うか》んで来る。その癖、妙に遣瀬ない気持だつた。
「とにかく、貴方は此頃荒んで来ましたね、どうかすると目茶苦茶に自分を打《ぶ》ち壊して行くやうなことをする。もつと自重しなけりやいけないぢやありませんか。」
 此人も私に、利き目のない薬を盛らうとすると思ひながら、自分を鞭打たれる快さを私は味はふ。
「私は堕落してるんですわ、生きるつてことにちつとも興味を見出すことが出来ないんですもの。」
「手がつけられないな。恋《ラブ》でもしたらいゝぢやありませんか!」
「対手《あいて》がないわ。言ひ替へればそんな興味もない訳なの。」
「ぢや、死んでおしまひなさい!」
「全くね。」
 私は面白さうな軽い調子で言つた。
「なんの興味もない………なんの刺激もない………たゞ、眠つてすべてを忘れてしまふことゝ、泣くことが一番、今の私に取つての慰めなの。私此頃、なか/\泣くことが上手になりましたよ。泣いたり、嫉妬をしたりして、自分から刺激をつくつて行くのよ。」
 Nさんは眼鏡の中から、黙つて私の顔を見て居た。

 Nさんの帰つたあと、私は潮のさすやうに寄せて来る味気なさに漬りながら、珍しく自省的な気分になつて居た。
「何も彼《か》も私がわるい!」と、最後はたゞ此一語に帰着する。たとひあの人がどうであらうと、それに応じて加減して行かねばならない立場に居るのが私なのだから。
 すべてが思ふやうにならないといつて焦慮《じ》れるのは、私が悪くなくてなんであらう。自らを医《いや》すものは自らの外にある筈がない。それを私はあの人に望んでゐる。あの人にも罪に与からせようとして居る。この上に明らかな間違つたことがあらうか? この頃の二人の倦
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