られる。
一時間経ち、やがて二時間経つ。心の心まで冷め切つて行くやうな私の胸は、何者かに裏切られるやうな腹だゝしさに、だん/\意地悪く働いて行く。あゝも思ひかくも思つてみるけれど、立寄つた先や、用事の見当がつかなければつかないほど、私の心は焦慮《じ》れて来て、無暗に何かに当り散らしたくなる。
「それも面白い!」などゝ私の心は呟く。「それがあの人の示威運動だとする。あの人は泊つて来る。」
「何処へ?」と思つた時、かすかな恐れがふと影のやうに私の胸奥をかすめて消える。だけど、あの人は此頃いつだつて金らしい金は持つて居ない。すれば、必《きっ》といくら遅くても帰つて来る。帰つて来ると思へばまた、瞬間でも多少の波瀾を想像しただけに、却てそれが物足らないやうでもある。
ふと見上げると、時計はいつか十二時近くに針をさしてゐる。私は、自分自身に対して、「ふつ!」といつたやうな気持を抱きながら、さつさと玄関の戸を閉めに出る。それから押入れから蒲団を取出す。電燈の真つ下にわざと自分のだけのべて、私は今夜どういふ態度を取り、そしてどんな言葉をもつて、あの人を迎へるだらうと、自分で自分の心を想像などしながら、寝巻も着替へないで、そのまゝ床の中に潜り込んでしまふ。
私の心は、人気のない大きな伽藍のやうに空虚《うつろ》になつて、どんなかすかな物音にも、慄へるやうな反響を全身に伝へる――私は私の耳が、丁度猫の耳のそれのやうに、ひく/\と動くやうにさへ思ふ。
底本:「水野仙子 四篇」エディトリアルデザイン研究所
2000(平成12)年11月30日発行
初出:「新潮」十九巻六号
1913(大正2)年12月発行
※底本の凡例に「ルビは新仮名遣いとした」と書かれていましたので、ルビの拗促音は小書きしました。
※底本では題名のみ旧字体「殼」を用いているため、題名を「脱殼」としました。
入力:林 幸雄
校正:多羅尾伴内
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全10ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水野 仙子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング