である。二つの心の交渉はそこにと絶えてしまふ。
 私はぎち/\と、唇を噛み出す。「なぜあの人はまた、私のこの心を解つてくれない? すべてがわかつて居ながら、なんでも呑み込んで居ながら、猶かうして居る、自分でも苦しいこの心を、なぜ汲み取つてくれない? あゝやつぱり駄目だ?」
「私だつて、いつまでもかうぢやないでせうよ。そのうちに自然と私の心が持ち直して来る時が来るでせう。私はそれを信じてますわ。」と、いつか私が言つたことがある。真面目に、そして、芝居気なしに、自分で自分を瞞着《ごま》かさない、しんみりとした心でさう言つた。すると、あの人は、
「そんな、来る時を待つなんていふやうな、消極的な心を持つてるから駄目なんだ。なぜ自分からその時を作つていかないんだ? すべてを肯定し、そして……」
「それが出来たら……」と、直ぐに私はその言葉も終らないうちに考へる。「出来ないといふことはないかも知れない、けれども私には出来ない。いくら内部の要求が強くても、外部の力の援けがなかつたならばそこに一つの仕事を形ち作ることは出来なくはないだらうか? その私の欲《ほっ》し求めて居る外部の力の一部分には、あの人も与らなければならない筈である。あの人のその力は弱い。希薄である。」
 私は併《しか》しいつもそれといふのを憚る。傷みやすいあの人の心に、血がにじむのを見るやうな気がしさうなので。
「重い泥の中に陥《はま》つた心、それはいくら抜け出ようと悶躁《もが》いても足が動かない。だのに、あの人はたゞ、そこを出て来い、抜け出て来いと叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]して居る。悲しむで居る。」
 私は黙るより外はなくなつてしまふ。
「一体泥とはなんだらう? 二人の生活?」
 そこに触るのは恐い。そしたらあの人は必とかういふ。「ぢや、別れよう!」
 私はそれが恐い。といつて、その言葉に嚇《おど》される訳ではない。あの人にだつて、私とおんなじく別れるなどゝいふ意志が毛頭ないことを、私は何よりもようっく信じて居る。だけども、そんな問題に帰着して行くのが恐い。「ぢや別れよう!」といふ言葉が、私の心を解さないことの、最も甚だしいものとして私を寂しがらせるからである。
「では、私は一体どうして欲しいといふのだらう?」
 潜然《さめざめ》と心が泣きながら、自分で自分に後指さしながら、たゞ目の前の充実を計
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