んは羽織などを着てゐない)、持前の猫背を如何にもまめまめしく見せ、その丸い背中は、兩手を腰のあたりまで下げてするお時儀の形にちようど恰好の取れるものであつた。彼は元氣な聲で、途で行き合つた知人や知合の店先やに挨拶を交して通つた。そんな時に、彼の顏は赤かつたにも拘らず、少しも醉つてゐるやうな氣振は見せなかつた。この明るいまつ晝間、めでたい祝儀にでも招ばれた譯でないのに、晝日中醉うて歩いてゐるさまを人に見られるなどは、常々の自分の勤勉に味噌をつけるものだと彼は固く信じてゐた。どんな場合にも醉うて醉はぬ本性が大事である、どんなにぐるりが目茶苦茶に面白く愉快に思へる時でも、本心はぴたりと坐つてゐて、うつかり人に冒されるやうな事があつてはならない、さう彼は豫々から思つて用心をしてゐる。その癖彼位すぐに醉つぱらつたさまをするのに巧な者はなかつた。常々頭の上らない人に向つて少し勝手な事を言つて見たいとか、それとなく日頃の不平を鬱散させたいとか思ふ時には、彼は前後の見境もなく醉うたやうなさまをしてそれをやるのである。その時言つた事や爲た事に對するすべての責任を、十分酒のせいにしてしまふ事が出來るといふ
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