もかくも立派に……まあ出來るだけはだが……とにかく綿屋の暖簾の下から、親父《おやぢ》が外してしまつて、息子が裸一貫で掛けたその暖簾の下から葬式を出してやつたんだ……これで親父も冥土に行つて先祖達に顏向も出來るつてわけだと俺は思ふんだが、どうだんべなえ本家……そこでだ、おれが今かうして、「まだまだ。」「今に見ろ、今に見ろ。」を一所懸命に繰り返してゐるのを知つたら、草葉の蔭から親父が見て、生きてた時の埋め合せにつて、佛の力でおれを援けてくれんべとおれはさう思つてたんが、どうだんべなえ本家、そこでおれは毎朝神棚の次に佛壇を拜む時には、「南無阿彌陀佛、お父さ、どうかこの家を守つておくれ、家内息災で、商法が繁昌するやうに[#「するやうに」は底本では「すやるうに」]、ようく守つておくれよ。」……おれはかう言つて拜むんだ、なえ……』
彼は話しながら、實際合掌して、數珠を揉む時のやうに掌を摺り合した。
と、このとき不思議な印象がぱつと彼の心に映つて、彼の注意の全部は、一齋にその方向にむかつて突進して行つた。お園が、何かあらたに出來た煮物のお初を盛つて、佛壇に晝の食事を供へてゐた。かあんと尾を引いた小さな鉦の音が、眞晝らしい頃の明るい茶の間に、強い酒の匂の間を漂つて消えた。その小さなものさびた鉦の響が、急に轉じた彼の思念の方向を眞直に導いて行つた。
『南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛。』と、彼は突如として大きな聲をあげて念佛を稱へた。
彼は佛壇に線香をあげて來たいといふ衝動をしきりに感じた、そしてそれは是非さうしなければならないやうに、眞面目に彼を動した。
『どれ、佛樣に線香を一つあげて來つかな!』
彼は立ち上つた。そして思はずよろよろとなつたので、
『おゝ、危いぞえ!』と、正兵衞は慌てゝお膳の上に兩手を翳した。
幸吉は眞面目くさつた顏をして、二本の線香に長火鉢から火をつけると、ほそぼそと白くたち騰る烟を香立にたてゝ、羽織の裾を捌いて几帳面に畏り、佛壇を見上げながら靜に合掌した。
『南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛……』
正兵衞とお園とは、後から顏を見合して、彼のものものしさをほゝゑんで見てゐた。
彼は暫く瞑目し、それからまた目を上げて、大小の位牌の納めてある扉の中に眺め入つた。新しい位牌には、彼にもよく覺のある、こゝの先代の戒名が書かれてあつた。下り藤の定紋をつけた左右の花立の草
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