前だといふのに心配するからと思つて……』
『いゝてば!』お芳は身を揉んだ。
あさましいとは思ひながら、自分一人が何事も思ふまゝにならぬやうなひがみがして、いまいましいやうな、人が羨ましいやうな、ぢれてぢれて、さうしてすねて見たかつた。
しばらくすると病人が屏風のかげから、
『芳、芳……』と、細い聲を出して呼ぶので、お芳は急にもの悲しくつて、齒を喰ひしばつて顏を蔽うてしまつた。
七
餅は宗三郎の姉の家でついて貰つて、ともかくもお飾をした。
病人も年を越す頃からそろそろ見直して、一日平温位にとゞまつてゐる時もあるやうになつた。併し衰弱の爲に元氣はもとよりなくなつて、かげの部屋の客の長い話や、戸のあけたてなどに一々眉を顰めた。戸のある柱には紙を張りつけた。そゝつかしい清治は、必ず一日に二三度位は足音や戸のあけたてゞ小言を喰つた。
友達のところから度々お芳に歌留多の使が來た。お芳は一々紙片にことわりの文言を書いてやつた。母親も病人も氣の毒がつてるやうすだつたが、お芳はそのかはりにほしいと思つてゐた「一葉全集」や、その頃評判だつた「その面影」のやうなものを買つて貰つた。
ある晩新年の雜誌を買ひに出かけて、ふと通りがかりの友達の家に寄る氣になつた。
『まあ芳ちやん。』と、そこのをばさんが迎へて友達を呼んでくれた。ちようど歌留多をとるといつて、四五人の人があかるい座敷に集つてゐた。つい交つて見る氣になつた。
『今晩は。』と、そこへはひつて行つた。一樣に向いた人々の顏を集めて、お芳はふと平常着のまゝだつたのに氣が着いた。
『珍客來、珍客來!』と、一人の中學生が言つた。
疲れ切つた體には蒲團が重いといふので、天井から麻糸を下げて蒲團を吊つた。さうして一時間と同じ向になつてゐては體が痛いといふ。神經痛を起して、足を持つと飛び立つやうに騷ぐので、腰のところの隙にそつと手を入れて、しづかに寢がへりをさせてやる。床ずれがしないやうにと綿も置いてやつた。
十時、十一時頃まではお芳が番で、それからは母親か宗三郎が代ることにきまつてゐた。行火に小蒲團をかけて、湯氣のたつ火鉢の傍で、枕時計の音を聞きながら、お芳は雜誌を讀んだり、病人に「我輩は猫である」などを讀んでやつたりした。
時には都や地方の友達などに手紙を書いた。都へ都へと誘ふまだ見ぬ友達も多くあつた。それ
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