である。焚いてそのお膝の前に格之進が捧げ持っていったのをズバリと言った。
「聴《き》くのでない。予が頭《つむり》に焚きこめい」
はっとなって老職は、打ちひしがれたように面を伏せた。死を覚悟されているのである。斎戒沐浴して髪に香を焚きこめる、――刺客の手にかかることがあろうとも、見苦しい首級《しゅきゅう》を曝《さら》したくないとの床《ゆか》しい御覚悟からなのだ。
格之進の老眼からは、滝のようにハラハラと雫が散った。
香炉を捧げ持つ手がわなわなとふるえた。
声もカスレ乍らふるえた。
「お潔《いさ》ぎよいことで厶ります。只もう、只もうお潔ぎよいと申すよりほかは厶りませぬ」
「長い主従であったよな」
「…………」
「不吉じゃ。涙を見するは見苦しかろうぞ。大老も、井伊殿の御最期もそうであった。登城を要して討つは、刺客共にとって一番目的を遂げ易い機《おり》である。十五日であるかどうかを諄うきいたのもそのためじゃ。決断を急いだのもそれゆえじゃ。予を狙う刺客共もあすの来るのを、いや、今日の来るのを待ちうけておるであろう。多井!」
「はっ……」
「すがすがしい朝よな」
――カラリと晴れて陽があ
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