《とっさ》に思い当った。刃をふりかぶって悪鬼のごとくに襲撃して来たそのいち人こそは、まさしく見覚えの堀織部正家臣三島三郎兵衛である。間《ま》をおかずに大喝が飛んでいった。
「うろたえ者めが。退りおろうぞっ。私怨の刃に討たれる首《こうべ》持っていぬわっ。退れっ。退れっ。退りおれっ」
叫んで、さっと身をすさったが、三島が必死の刃は、圧する凄気《せいき》と共に、対馬守の肩先に襲いかかった。しかしその一刹那である。弾丸のように黒い影が横合いから飛びつけると、間一髪のうちに三島三郎兵衛の兇刃を払ってのけて、技もあざやか! ダッと一閃のまにそこへ斬ってすてた。――頭巾姿の顔も誰か分らぬ救い手である。
黒いその影は、つづいて右に走ると、さらにいち人見事に刺客を斬ってすてた。そのまに館がひとり、山村がいち人、あとの四人を残りの近侍達が斬りすてて、広場の砂礫は凄惨《せいさん》として血の海だった。
対馬守は自若《じじゃく》として打ち見守ったままである。その目は、救い手の黒い姿に注がれて動かなかった。しかしやがて肯《うなず》いた。
「道弥よな」
呟《つぶや》いたとき、頭巾を払って救い手が砂礫に手をついた。――やはりそれはあの道弥だった。崩れるようにうっ伏すと道弥の声が悦《よろこ》びに躍って言った。
「御無事で何よりに厶ります……」
ふいっと対馬守の面に微笑が湧いた。だが一瞬である。打って変った荒々しい声が飛んでいった。
「見苦しい! 退れっ。縁なき者の守護受けとうないわっ。行けっ」
「では、では、これ程までにお詫び致しましても、――手裏剣文放って急をお知らせ致しましたのも手前で厶りました。蔭乍らと存じまして御護り申し上げましたのに、では、では、どうあっても――」
「知らぬ! 行けっ」
「やむをえませぬ! ……」
さっと脇差抜くと、道弥のその手は腹にいった。途端である。対馬守の大喝がさらに下った。
「たわけ者めがっ。言外の情《なさけ》分らぬか。死んでならぬ者と、死なねばならぬ者がある――」
そうしてふいっと声をおとすと言った。
「嬰児《やや》が父《てて》なし児になろうぞ。早う行けっ」
「左様で厶りましたか! 左様で厶りましたか!」
血の匂う砂礫の上に道弥の涙が時雨《しぐれ》のようにおち散った。
見眺《みなが》めて対馬守は、ほころびかかった微笑を慌てて殺すと、急いで眼鏡をかけた。
はっと平伏し乍ら、並居る侍臣達は、そのとき新らしい発見をした。殿の眼鏡は時代の底の流れと、海の外を視《み》る御用にのみ役立つと思っていたのに、人の情の涙をもおしかくす御役に立つことを初めて知ったのである。
その時何侯か登城した大名があったとみえて、城内遥《はる》かの彼方からドドンと高く登城しらせのお城太鼓が鳴り伝わった。
底本:「小笠原壱岐守」大衆文学館文庫、講談社
1997(平成9)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「佐々木味津三全集10」平凡社
1934(昭和9)年発行
初出:「改題」
1930(昭和5)年発行
入力:大野晋
校正:noriko saito
2004年11月1日作成
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