タと駈け違う足音が伝わった。と思われた刹那《せつな》――。
「お見のがし下されませ! お許しなされませ! 後生《ごしょう》で厶ります。お見のがし下されませ!」
 必死に叫んだ声は女! ――まさしく女の声である。
 対馬守の身体は、思わず御縁端《ごえんばた》から暗い庭先へ泳ぎ出した。
 同時のようにそこへ引っ立てられて来た姿は、女ばかりだと思われたのに、若侍《わかざむらい》らしい者も一緒の二人だった。
「御、御座ります。ここに御灯りが厶ります」
「……※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
 差し出した紙燭《ししょく》の光りでちらりとその二人を見眺めた対馬守の声は、おどろきと意外に躍《おど》って飛んだ。
「よっ。そち達は、その方共は、道弥とお登代じゃな!」
 見られまいとして懸命に面を伏せていた二人は、まさしく侍女のお登代と、そうして誰よりも信任の厚かった近侍《きんじ》の道弥だったのである。
 不義!
 いや恋! ――この頃中《ごろじゅう》から、ちらりほらりと入れるともなく耳に入れている二人のその恋の噂を思い出して、若く美しい者同士の当然な成行に、対馬守の口辺《こうへん》には思わずもふいっと心よい微笑がほころびた。
 だがそれは刹那の微笑だった。情に負けずに、不断に張り切っていなければならぬ為政者《いせいしゃ》としての冷厳な心を取り返して、荒々しく叱りつけた。
「不埒者《ふらちもの》たちめがっ。引っ立てい!」
「いえあの、そのような弄《なぐさ》み心からでは厶りませぬ! 二人とも、……二人ともに……」
 必死に道弥が言いわけしようとしたのを、
「聞きとうない! 言いわけ聞く耳も持たぬ! みなの者をみい! 夜の目も眠らず予の身を思うておるのに、呑気《のんき》らしゅう不義の戯《たわむ》れに遊びほうけておるとは何のことか! 見苦しい姿見とうもない! 早々に両名共追放せい!」
 ややもすれば湧き立とうとする人の情と人の心を、荒々しい言葉で抑《おさ》えつけるように手きびしく叱っておくと、傍《かたわ》らを顧《かえり》みて対馬守はふいっと言った。
「そろそろその時刻じゃ。微行《しのび》の用意せい」
 ――九重《ここのえ》の筑紫の真綿軽く入れた風よけの目深頭巾《まぶかずきん》にすっぽり面《おもて》をつつむと、やがて対馬守は何ごともなかったように、静かな深夜の街へ出ていった。

     
前へ 次へ
全16ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング