右手《めて》一つで咄嗟《とっさ》に抜き払ったその一刀が、ぐさりと千之介の腰車《こしぐるま》に喰い入った。
 そうして言った。おどろいたように言った。
「おう! 千之か! 誰かと思うたのにおぬしだったか!」
「お、おぬしだったかがあるものか! 妻を盗んだ不埒者《ふらちもの》めがっ。千之が遺恨の刃《やいば》、思い知ったか」
「そ、そうか! では、では、お身、今の話をまことと信じたか!」
「なにっ。う、嘘か! 嘘じゃと申すか」
「嘘も嘘も真赤な嘘じゃわ! あの貞女が何しにそんないたずらしようぞ! 袖の破れを縫うて貰うたは本当のことじゃが、あとのことは、みなつくり事じゃわ!」
「油のしみはどうしたのじゃ! その片袖の油の匂いはどうしたと言うのじゃ!」
「縫うて貰うているすきに知りつつ細工したのじゃわ。それもこれもみなおぬしに、武道の最期、飾らせたいと思うたからじゃ。女ゆえに見苦しい振舞でもあってはと――そち程の男に、女ゆえ見苦しい振舞いがあってはと、未練をすてさせるために構えて吐《つ》いた嘘であったわ」
「そうか! そうであったか! 逸《はや》まったな! 斬るとは逸まったことをしたな……」

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