ざいますから、かえりは少々おそくなるかも存じませんが、今夜もやはり、こちらでございますか。それとも御本邸の方へおかえりでございますか」
「そんなつまらんことも聞かんでいい。おそくかえって、わしの姿がここに見えなかったならば、本邸へかえったと思うたらよかろう。思うたらおまえもあちらへかえったらよかろう。早く出かけい」
「…………」
風に吹かれている男のように、平七は、ふらふらと、三《み》めぐりの土手の方へあがっていった。
とうにもう秋は来ている筈なのに、空はどんよりと重く汚れて曇って、秋らしい気の澄みもみえなかった。
もしそれらしいものが感じられるとすれば、土手の青草の感じの中に、ひやりとしたものが少し感じられるくらいのものだった。
そういう秋の情景のない秋の風景は、却《かえ》って何倍か物さびしかった。
平七は、ぼんやりとした顔つきで、ふらふらと土手を下《しも》へ下って行くと、吾妻《あづま》橋の方へ曲っていった。
僅《わず》かに感じられる江戸の名残りだった。たまり水のように、どんよりと黒い水を張った大川の夕ぐれが、点々と白い帆を浮かせて、次第に広く遠く、目の中へひろがって来た
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