って言った。
「もうかえるんだよ」
「……? あ、そうか。花は散ったか」
ふらりと立ちあがって、平七は、こともなげな顔をし乍ら、のそのそとおりていった。
水にも土手にも、しっとりと闇《やみ》がおりて、かすかな夜露《よつゆ》が足をなでた。
どこにいるのか、暗いその川の中で、ギイギイと櫓《ろ》が鳴った。
充《み》ち足《た》りたらしく新兵衛が、上機嫌な声で、暗い土手の闇の中からせき立てた。
「貴公どっちへかえるんじゃ」
「うん……」
「うんじゃないよ。なにをそんなところでぼんやりしておるんじゃ」
「うん……。なるほどこのあたりは、むかし通り深そうじゃな。だぶりだぶりと水が鳴っているよ」
「つまらんことを感心する奴じゃ。ぼんやりしておったら置いてゆくぞ」
不意にうしろで、リンリンと、簪《かんざし》が鳴った。
恥しそうに襖《ふすま》の奥へかくれ乍ら、顔も見せなかったのに、いつのまにかこっそりと新兵衛を送って来ていたとみえて、ためらい、ためらい、あの小娘が花簪の音を近づけると、土手ぎわにしょんぼりと立っている平七の黒い影を、じっと見すかし乍ら、なにか言いたそうに、暫《しばら》くもじもじ
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