不意にそのとき、ガラガラした声が、下からあがって来ると肥《ふと》った女中が、ぺったりとそばへ来て坐って、とりなすように言った。
「罪なことをするのね。こんなおとなしい人をひとりぽっちにしておいて、まずかったでしょう、お酒が」
「昔からおれはひとりぽっちだ」
 突然、平七が怒ったように言った。――しかし本当に怒ったわけではなかった。
「ふ、ふ、ふ、ふ、ふ……」
 しばらく間をおいてから、思い出したように笑うと、ぽつりと女に言った。
「前の川は今でも深いかね」
「深いですとも、江戸が東京に変ったって、大川は浅くなりゃしないですよ」
「そういうものかな。じや江戸が東京になっても、人が死ねるところでは、やっぱり人が死ねるということになるんだな」
「まあ。気味のわるいことを仰有《おっしゃ》るのね。なんだってそんなおかしなことをおききなさいますの?」
「むかしからこの前の川で何人ぐらい死んだか。変らないものはいつまで経《た》っても変らないから、妙なもんだと思っていたところさ。――貴君はいくつだね」
「おい……」
 話の腰を折るように、その時新兵衛が、向うの暗い部屋から顔だけ出すと、頤をしゃく
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