! ほら! ほら!」
 六本の槍襖がじりじりと背後の指揮者とみえる影のところまで退って、一緒になった九つの影がじりりッとお濠の方へ――。
「ほら! ほら! あとすこしでお濠でござるぞ。お濠の水雑炊《みずぞうすい》おたしなみなさるも御一興。鮒《ふな》、鯉、どしょう、お好みならばいもり、すっぽんもおりましょうぞ。――ほらッ。ほらッ」
 あぶない。お濠の角石まであとがつまって、爪先立ってよろめく一番うしろから、今にも人|雪崩《なだ》れ打ってお濠へ落ちこむ、――と見えた途端でした。――不意に退屈男の背後から、どすぐろい叫びがあがりました。
「おひるみめさるな! そちらの方々! 押し返しめされい。加勢じゃ! 加勢じゃ! われらがお加勢つかまつるぞ! 挟み打ちにいたそう! 押し返しめされいッ」

       一六

 ハッとふりかえると、いつの間に迫ったか、いる! いる! かれこれ二十人ばかり、あまり風体もよろしくないごろつき付らしいのが、これが頭と見える白覆面を先頭に、ズラズラと白刄をならべているのです。
「やっておしまいなされ! この通り大勢、加勢がいるのじゃ! どなたたちか知らぬが、われ等も主水之介には恨みがあるのじゃ。どうでも今宵の中に呼吸《いき》の根をとめねばならぬそやつじゃ。われ等も必死に助勢つかまつるぞ! ――早う、早う! かかれッ。かかれッ。お前達もかかれッ」
 けしかける白覆面の声にサッと黒い人山が動いた。刹那です! かかえていた槍の一本を、ぐいと突いて、ぐいと引いてわが手に奪った退屈男、斜めに体をとばして、側面へぬけるや、きっと構えて大喝一声――。
「推参者めッ。主水之介と存じながら、この三カ月傷に鼠泣きさせたいかッ」
 その神速! その凛烈の気合! まこと大江戸名代旗本退屈男の威風が燃えるばかりです。黒い人山がぎょッと立ちすくんだ。――途端でした。闇の向うから、バタバタという足音が、はげしいいきづかいとともに近づいたと思うと、
「ま、間にあったか!」
 まぎれもない下総の十五郎でした。
 つづいて京弥――。
 つづいて菊路――。
「兄上!」
「殿ッ」
「ご、御前! ご、ご無事でごぜえやしたか! よかった! よかった! よよッ。そっちにもいやがるな。そ、そのお濠端の方は知らねえが、そ、そこにいるその白覆面は――」
「腰本治右衛門であろう」
 白覆面がピクリと動きました。
「お見通し! そうなんだ。じ、じつあ、京弥さまから、御前が不意の御呼び出しで御登城なすったお知らせいただいたんで、どうせこりゃ腰本の狒狒侍《ひひざむらい》の小細工、この上どんなたくらみしやがるかと屋敷の前へ張って容子をさぐっていたら、お城の小者が顔色かえて飛びつけて来ると、屋敷の中が急にガタつき出し、狒狒爺め覆面なんぞつけそこにいるガラクタどもをつれてお城の方へ急ぐんだ。あとをつけながら話をぬすみ聞いたら、どうやらお城じゃ御前の言い分が通り、狒狒爺のお蔵に火がついたんでこいつらアやぶれかぶれ、この上は今夜の中に御前を闇から闇へ消してしまってあとはお紋狐の口細工で将軍さまをいいくるめ直そうって悪だくみだ、こいつあ大変、腕はなまくらでもこの人数だ。御前だってお怪我の一つぐらいはなさるかも知んねえ、すこしも早くお屋敷へとすっとんでいったら、有がてえ! 途中で心配して出迎いに来られた菊路さまと京弥さまにバッタリ、三人火の玉になってかけつけて来たんだ。――さあ、狒狒侍ッ」
 おぞましや面皮《めんぴ》はがれて白覆面の腰本治右衛門、ピクリとまた後へさがりました。
「チビ狒狒どもも前へ出ろい! 下総の十五郎がかけつけたからにゃ、もう御前様にゃ、指一本ささせるもんじゃねえぞ。九十九里の荒浜でゴマンと鯨《くじら》を退治たこの腕で片ッ端から成仏さしてやらあ! 冥途急ぎのしてえ奴からかかって来い!」
「ひかえい! 十五郎!」
 はやり立った十五郎を、主水之介、キッと押えました。
「仔細があるゆえ、そちは後ろにひかえろ! ――京弥! 菊路!」
「はッ」
 よりそって進み出た二人へ、
「そちたちには腕だめしゆるすぞ。よき機会《おり》ぞ。日頃仕込んだ揚心流当身の術、心ゆくまで楽しむ用意せい」
「はッ」
 りりしくもういういしくも、勇んで二人が身構えると、主水之介、お濠端の方へはまったく警戒をといたように、ぐるりと真正面から腰本一味へ向き直りました。烱々《けいけい》たる眼光が、白覆面を射通すように見すくめました。
「腰本治右衛門……この目をみい!」
「………」
「今のこの男の申し分、何ときいたぞ!」
「………」
「お小納戸頭取《こなんどとうどり》の重職すらいただく身が、漁師|渡世《とせい》の者よりこれほどまでにののしられて、上の御政道相立つと思うか! よこしまの恋に心がくらみ、御恩
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