が、妹という足手まといがござんす。どうにかして女たちふたりを逃がさなくちゃならねえ、しかし、逃がすにはあの通りの真ッ昼間、日の暮れるまで待とうとお茶屋で待って、こっそりふたりを裏から駕籠で落してから、あっしひとりでいのちを張りにいったんでござんす」
「喧嘩の花はどこで咲いた」
「小屋を出ると、案の定黒鍬組の奴等が、今出るか今出るかと待っていやがったとみえて、来いというからあの前の河岸《かし》ッぷちへいったんでござんす。抜いたのは手下のあの六人でした。さすがに腰本治右衛門だけや抜かなかったところが親分でござんす」
「得物《えもの》もあるまいに、よくそれだけの傷で済んだものじゃのう。どうしてまたその姿でここへ参った」
「そのことでござんす。こっちは只の素人《しろうと》、向うはともかくも二本差《りゃんこ》が六匹、無手の素町人が六人の侍を対手にして斬り殺されたと世間に知れたら、下総十五郎褒め者になっても死に恥じは掻くめえと、いのちを棄てる覚悟でござんしたが、斬られているうちに、ふいッと妹たちふたりのことを思い出したんでござんす。喧嘩のもとというのは妹のあの小芳、死ぬあっしゃいいが、あとで黒鍬組の奴等がきっと何かあのふたりにあくどい真似をするだろうと思いつきましたんで、こいつうっかり死なれねえ、死ぬにゃどなたかに妹たちふたりの身の上を頼んでからと、御迷惑なことですが、ふと気のついたのはお殿様のことでござんした。男が気ッ腑を張ってお頼み申したら、お眉間傷にかけても御いやとはおっしゃるまいと、地獄の一丁目から急に逃げ出して、楽屋の中へ駈け込んだんでござんす。ところが、お殿様たちはこっちへもうひと足違い――成田屋さんのお弟子さんでござんしょう、大層もなく御親切なお方がひとりおいでなすってな、行った先は深川《たつみ》の谷の家だ、気付けをあげます、駕籠も雇うてあげます、すぐにおいでなさいましと、いろいろ涙のこぼれるような御介抱をして下さいましたんで、こんな血まみれの姿のまますぐ、おあとをお慕い申して来たんでござんす」
「ほほう、そうか。では主水之介にそちの気ッ腑を買えと申すんじゃな」
「十五郎、無駄は申しませぬ。あっしの気ッ腑はともかく、妹たちは惚れ合った同士、不憫《ふびん》と思召しでござりましたら、うしろ楯となってやって下さいまし……」
「嫌と申したら?」
「………」
「人の喧嘩じゃ、身共の知ったことではない、嫌じゃ勝手にせいと申したら何とする?」
「………」
「どうする了簡《りょうけん》じゃ」
「いたし方がござんせぬ」
さみしそうな声でした。あの気性なら、この気性を買って下さるだろうと思ったのに、当てがはずれたか! ――口では言わなかったが、十五郎は急にこの世がさみしくなったとみえるのです。全身これ精悍と思われた男が、しょんぼり立ち上がると、生血にもつれたおどろ髪を川風にそよがせながら、しょんぼりと出て行きました。
「まてッ」
刹那でした。ひとたび命を張れば豹虎《ひょうこ》のごとく、ひとたび悲しめば枯れ葉のごとくに打ち沈んで行くその生一本の気性が、こよなくも主水之介の胸を衝《う》ったのです。
「眉間傷貸してやる! 妹の住いはいずれじゃ」
「え! じゃ、あの!……」
「眉間傷に暑気払いさせてやろうわい。小芳とやらの住いはいずれじゃ」
「十五郎、うれしくて声も出ませぬ。神田の明神裏の篠原梅甫というのが配《つ》れ合いでござんす。手前、ご案内いたします……」
「無用じゃ。その怪我ほってもおかれまい。そちはどこぞへ隠れて傷養生せい。成田屋、その方も江戸ッ児じゃ。下総男にひと肌ぬがぬか」
「よろしゅうござります。医者のこと、隠れ家のこと、一切お引きうけいたしましょう。たんと眉間傷を啼かしておいでなさいまし」
「味を言うのう。吉三郎のおいらん、浮気するでないぞ」
「あんなことを……。ぬしさんこそ、小芳さんとやらに岡惚れしんすなえ」
「腰本黒鍬左衛門とはちと手筋が違うわい。アハハ……。世の中にはまだ退屈払いがたんとあるのう。女共、気まぐれ主水之介、罷《まか》り帰るぞ。乗物仕立てい」
眉間傷の出馬となると、主水之介の声までが冴えるのです。――ゆらゆらゆれて行く駕籠の右と左りに、江戸の夏の灯の海が涯なくつづきました。
七
鐘が鳴る……。
そんなにふけたわけではないが、明神裏というと元々宵の口から、街の底のようなさみしい街なのです。
「これか。惚れた同士の恋の巣は、どこかやっぱり洒落《しゃれ》ておるのう。駕籠屋ども、すき見するでない。早う行け」
灯影一ツ洩れない暗い玄関先へ、主水之介はずかずかと這入りました。
右手の寒竹の繁みが、ザアッと鳴った。
生き埋めの井戸の上のあの繁みなのです。
しかし、何も出たわけではない。黒い影も白い
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