は空恐しゅうござります。甚だぶしつけでござりまするが――」
「何じゃい。退屈払いでもしてくれると申すか」
「致しまする段ではござりませぬ。日頃御贔屓に預りまするお礼方々、今宵深川へお供させて頂きとうござりまするが、いかがでござります」
「深川はどこじゃ。女子がおるか」
「御前は御名代《おなだい》の女ぎらい、――いいえ、おすきなようなお嫌いなような変ったお気性でござりますゆえ、手前にいささか趣向がござります。女子《おなご》もおると思えばおるような、いないと思えばいないようなところでござります」
 さすがは団十郎です。主水之介ほどの男を招くからには、何かあッと言わせるようなすばらしい思いつきがあるらしい口吻《くちぶり》でした。
「気に入った。その言い草が面白い。主水之介も嫌いなような好きなような顔をして参ろうぞ。早う舞台を勤めい」
「有難い倖《しあわ》せでござります。お退屈でござりましょうが、ハネるまでこの楽屋ででも御待ち下さりませ」
 その大切りのひと幕が終ったのは、街にチラリ、ホラリと夏の灯の涼しい夕まぐれでした。
「では、お約束の趣向に取りかかりますゆえ、少々お待ち下さりませ。――おい。誰か、若い者、若い者は誰かおりませぬか」
 番頭を呼び招くと団十郎は、何の趣向にとりかかろうというのか、小声でそっと命じました。
「さき程ちょっと耳打ちしておいたから来て下さる筈だ。上方《かみがた》の親方を呼んで来な」
「いいえ、お使いには及びませぬ。参りました」
 まるで声は女です。恥ずかしそうに身をくねらせながら、鬘下地《かつらしたぢ》の艶《えん》な姿を見せたのは、上方下りの立女形《たておやま》上村吉三郎でした。
「お初に……」
「おう。主水之介じゃ。世の中がちと退屈でのう。楽屋トンビをしておるのよ。舞台は言うがまでもないが、そうしておる姿もなかなかあでやかじゃのう」
「御前が、御笑談ばっかり……。江戸の親方さん、では、身支度に――」
「ああ、急いでね。早乙女のお殿様のお目の前で女に化《な》ってお見せ申すのも一興だから、一ツ腕によりをかけて頼みますよ」
「ようます」
 吉三郎の姿は、みるみるうちに女と変りました。しかも只の女ではない。持ち役そのままの傾城姿《けいせいすがた》、奥州に早変りしたのです。いや、その声は言うもさらなり、言葉までがすっかり吉原育ちの傾城言葉に変りました。
「ごぜん、どうざます。女子《おなご》に見えますかえ。およろしかったら、わちきに酌なとさせておくんなまし……」
「わはは、そうか、そうか、団十郎《なりたや》め、心憎い趣向をやりおった。女子《おなご》がおると思えばおるような、いないと思えばいないようなと申したはこのことか。いや、いないどころか立派な女子じゃわい。主水之介、苦労がしとうなった。どうじゃ、奥州、いっそ成田屋を撒《ま》いてどこぞでしっぽり濡れてみるか」
「お口さきばっかり……。では成田屋さん、お伴《とも》させて頂きんしょう」
 櫛《くし》、こうがい、裲襠《うちかけ》姿のままで吉三郎が真ん中、先を成田屋、うしろに主水之介がつづいて、木挽町《こびきちょう》の楽屋を出た三|挺《ちょう》の列《つら》ね駕籠は、ひたひたと深川を目ざしました。
 すだれ越しに街の灯がゆれて、大川端は、涼味肌に泌《し》みるようです……。
 さしかかったのが江戸名代の永代橋。
「あの、もうし、かご屋さん……」
 渡り切ると、不意に簾垂《すだ》れの中から、吉三郎の奥州が、もじもじしながら恥ずかしそうに呼びとめました。
「ちょっと、あの、かごを止めてくんなんし……」
「へえへえ。止めますがお気分でもわりいんですかい」
「いいえ、あの、わちき、――おししがやりたい……」
 主水之介の目が簾垂れの中で、思わずピカリと光りました。消え入るような声で恥じらわしげに、おししがやりたいと言ったその声は、何ともかとも言いがたくなまめかしかったからです。
 ――しかもその身のこなし!
 どう見てもそれは男ではない。
「ごぜん、ごめんなんし……」
 パッと赤くもみじを散らして、消えも入りたげに、恥じらい恥じらい、駕籠の向うの小蔭へいって身をこごませると、さながらに女そのままの風情で用を足しました。
 そのえも言いがたいなまめかしさ!……。
 その身だしなみの言いようなきゆかしさ!……。
「ああ、いい女形《おやま》だな……。名人芸だ」
 思わず団十郎《なりたや》が感に堪えかねたように、すだれの中から呟きました。
 主水之介もまた恍惚となって見とれました。
 そのまに駕籠は大川端を下って料亭へ。

       五

「いらっしゃいまし!……」
「あら! 成田屋さんじゃござんせんか。どうぞ! どうぞ! さあどうぞ……」
 行きつけのうちと見えて、下へも置かない歓待ぶ
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