ら泰然としたものでした。
「身共のこの傷、何と心得おるかッ。百石二百石のはした米《まい》では、しみじみお目にもかかれぬ傷じゃ。よう見い。のう! 如何《どう》ぞ! わははは。ずうんと肝《きも》にこたえたと見ゆるな。――遠藤侯!」
チクリと痛いところを静かに浴びせかけたものです。
「お身、時折は鏡を御覧召さるかな」
「なにッ。雑言《ぞうごん》申して何を言うかッ。小地たりとも美濃八幡二万四千石、従四位下を賜わる遠藤主計頭じゃ。貴殿に応対の用はない。とく帰らっしゃい」
「ところが帰れぬゆえ、幽霊の念力《ねんりき》は広大なものでござるよ。二万四千石とやらのそのお顔、時折りは鏡にうつして御覧召されるかな」
「要らぬお世話じゃ。見ようと見まいとお身の指図うけぬわッ」
「いや、そうでない。そのお顔でのう。ウフフ。あはは。まあよう見さっしゃい。ずんぐりとしたそのお顔で曲輪通いをなさるとは、いやはやお肝の太いことでござる。ましてや、曲輪の遊びは大名風が大の禁物、なにかと言えば二万四千石が飛び出すようでは、誰袖に袖にされるも当り前じゃ。ぜひにも幽霊買わねばならぬ! 早うこれへ出さっしゃい!」
「不埓申すなッ。お身こそ直参風を吹かせて、何を申すかッ! 知らぬ! 知らぬ! 身に覚えもない言いがかりを申しおって、誰袖とやらはゆめおろか、源七とやらも幽霊も見たことないわッ。帰れと申すに御帰り召さずば、屋敷の者共みな狩り出し申すぞッ」
「わはは。古手の威《おど》し申されたな。問答無益じゃ。御存じないとあらば屋探し致して心中者の幽霊買って帰りましょうぞ。近侍の者共遠慮は要らぬ。案内せい!」
ピカリと威嚇しながら、睨みすえつつ屋敷の奥へ踏み入ろうとしたのを、主計頭、必死でした。さっと立ち上がると形相《ぎょうそう》物凄く呼びとめました。
「控えられい! お控え召されよッ」
「何でござる」
「かりそめにも当館《とうやかた》は、上将軍家より賜わった大名屋敷じゃ。大名屋敷詮議するには、大目付衆のお指図お許しがのうてはならぬ筈、お身、それを知ってのことかッ」
「ウフフ。お出しじゃな。とうとうそれをお出し召さったか。――止むをえぬ。お家を無瑾《むきず》に庇《かば》って進ぜようと思うたればこそ、主水之介わざわざ参ったが、それをお出しとあらば致し方ござらぬわい。お目付衆の手を煩《わずら》わすまでもないこと、ようござる! 今より主水之介、じきじきに将軍家へ言上申上げて、八幡二万四千石木ッ葉みじんに叩きつぶして見しょうぞ。――ウフフ。京弥、下賤の色恋にまなこ眩《くら》んでいるお大名方には、この三日月形、利きがわるいと見えるわい。では、負けて帰るかのう。急いで参れよ」
ガラリと、俄かの変り方でした。ウフフと不気味に笑って、さっさと引き揚げて行くと、――帰る筈がない! 主水之介程の男が、そのまま引き揚げて行く筈はないのです。
門を出ると同時に、ぴたりとそこの物蔭に姿をかくすと、京弥を初め七五郎達四人に鋭く命じました。
「あれじゃ、あの手じゃ。篠崎流の兵法用いて、アッと言わしてやろうぞ。手分け致して早う門を見張れッ」
「何を見張るのでござります」
「知れたこと、主計頭とて二万四千石は惜しい筈じゃ。じきじきに将軍家へ言上しょうと威《おど》したからには、お吟味屋敷改めされるを惧《おそ》れ、慌てふためいて今のうちに誰袖達をどこぞへ運び去って、隠し替えるに相違ないわ。それを押えるのじゃ。門を見張って、運び出したところを、そっくりそのまま頂戴するのよ。身共はこの正門受持とうぞ。そち達も手分けして三方を固めい」
「心得ました。そうと決まりますれば、京弥、北口不浄門を見張りましょうゆえ、七五郎どの新吉どの両人は東口を、東五郎どの長次どの御両人は西口を御見張り召されよ。ではのちほど――」
「まて! まてッ」
「はッ」
「いずれは警固もきびしく運び出すであろうゆえ、それと分らば合図致せよ」
「心得ました!」
ひたひたと三手に分れていずれもまっしぐら。――ざわ、ざわ、ざわと、庭の繁みの葉末を鳴らして、不気味な夜風です。
主水之介は、ぬッと築地《ついぢ》わきに佇んだままで、薄闇の向うの門先を見守りました。
しかし出ない。
人影はゆめおろか、犬一匹屋敷うちからは姿を見せないのです。
合図の声もない。
北口不浄門からも、東口御小屋門からも、西口脇門からも、何の声すらないのです。
「はてのう? バラしたかな」
いぶかっているとき――。
「殿様え! 殿様々々。出ましたぞう!」
突如、闇を裂《さ》いて伝わって来たのは、まさしく東口御小屋門のかなたからです。
同時に一散走りでした。
駈けつけて見すかすと、なるほど八九名の影がある。しかも大きな長持を一|挺《ちょう》担《にな》わせて、その黒い影の
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