一つ見せねえというんで、江戸ッ児にゃ気に入らねえお振舞いをなすったんですよ。源七どんと誰袖を手もなく浚《さら》って、屋敷へ閉じこめ、切れろ、別れろ、別れなきゃこれだぞと、毎日毎夜古風な責め折檻《せっかん》に嫉刄《ねたば》を磨いでいらっしゃると言うんですがね。対手は曲輪《くるわ》育《そだ》ちの気性の勝った花魁《おいらん》だ。なかなかうんと言わねえんで、だんだん日が経つ、世間が騒いで悪事露見になりゃ御家の名に傷がつくというところから、人目をごまかそうと遠藤様がひと狂言お書きなすって、仰せの心中者をひと組こしらえたというんですよ。それも聞いてみりゃむごい事をしたもんじゃござんせんか。年頃恰好の似通ったお屋敷勤めの若党と女中の二人をキュウと絞め殺させてね、源七どんに無理無体書置をしたためさせて、ぽっかり大川へ沈めたというんです。そうして置けば、世間は心中したろうと思い込んで、騒ぎもなくなるし、人目もたぶらかすことが出来るから、そのすきにゆっくり責め立てて、二人に手を切らし、まんまと誰袖を手生けの花にしようと、今以て日夜の差別なく交る交る二人を折檻しているというんですがね」
「ほほうのう! ならば源七をバッサリやればよい筈、邪魔な真夫《まぶ》を生かしておいて、似せの心中者を細工するとはまたどうした仔細じゃ」
「そこが江戸花魁のうれしいところでござんす。斬りたいは山々でしょうが、源七どんに万一のことがありいしたら、わちきも生きてはおりいせぬ、とか何とか程よく威《おど》しましたんでね、元も子も失《な》くしちゃ大変と、首をつないでおいて、下郎風情があのような別嬪《べっぴん》を私するとは不埓至極じゃ、分にすぎるぞ。手を切れ、たった今別れろと、あくどく源七どんを御責めになっていらっしゃると言うんですが、二人にとっちゃ必死も必死の色恋に相違ねえから、どうぞして逃れたい、救い出して貰いたいと考えた末、ふと思い出したのは――」
「身共の事じゃと申すか!」
「そうでござんす! そうなんでごぜえます! 対手はとにもかくにも城持ち大名、これを向うに廻して、ひと睨《にら》みに睨みの利くのは傷のお殿様より他にはあるまいと、二人が二人、同じように考え当って、源七どんは出入りの按摩に、誰袖花魁は小間物屋の若い衆に、こっそりとお使いを頼み込んだというんですがね。気に入らねえのは使いに立ったその二人ですよ。しかじか斯々《かくかく》でごぜえますからと早く言えばいいものを、お殿様程の分った御前を、怕いの恐ろしいのと思い違えて逃げ帰ったのがこんな騒ぎのもととなったんでごぜえます」
「不埓者《ふらちもの》めがッ。傷がむずむずと鳴いて参った! 京弥! 千二百石直参旗本の格式通り供揃いせい!」
 颯爽たる声でした。すっくと立ち上がって、手馴れの平安城相模守《へいあんじょうさがみのかみ》をたばさむと、駕籠は塗り駕籠、奴合羽《やっこがっぱ》に着替えさせた鳶の七五郎達四人を供に、京弥召し随えて直ちに行き向ったところは、赤坂溜池際の遠藤屋敷です。

       四

 乗りつけたのは、とっぷり暮れた六ツ下がりでした。
「京弥、つづけッ」
 すべてが只颯爽、小気味がいい位です。ずいずいと式台にかかると、
「早乙女主水之介、眉間傷御披露に罷り越した、通って参るぞ。主計頭どの居室に案内《あない》せい」
 注進するひまも止めるひまもない。打ちうろたえて、まごまごしている近侍の者達に、ピカリピカリと傷の威嚇を送りつつ、悠揚として案内させていったところは、奥書院の主計頭が居室でした。
「誰じゃ。何者じゃ。どたどたと騒がしゅう振舞って何者じゃ」
 四十がらみの、ずんぐりとした好き者《しゃ》らしい脂肉《あぶらじし》を褥の上からねじ向けて、その主計頭がいとも横柄に構えながら、二万四千石ここにありと言いたげに脇息《きょうそく》もろ共ふり返ったのを、ずいとさしつけたのはあの三日月形です。
「この傷が見参じゃ。とく御覧召されい」
「よッ。さては――いや、まさしく貴殿は!」
「誰でもござらぬ。早乙女の主水之介よ。うい傷じゃ、その傷もって天上御政道を紊《みだ》す輩《やから》あらば心行くまで打ち懲《こ》らせ、とまでは仰せないが、上将軍家御声がかりの直参傷《じきさんきず》じゃ。当屋敷うちに、誰袖源七の幽霊がおる筈、のちのちまでの語り草にと、これなる傷にて買いに参った。早々にこれへ出さッしゃい」
「なにッ。――知らぬ! 知らぬ! いや、左様なもの存ぜぬわッ。幽霊が徘徊《はいかい》致すなぞと、うつけ申して狂気と見ゆる! みなの者! みなの者! 何を致しおるかッ。この狂気者、早う補えい!」
 股立《ももだち》とって、バラバラと七八名が取り巻こうとしたのを、只ひと睨み!
「控えい! 陪臣《またもの》!」
 一|喝《かつ》しなが
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