している糸屋六兵衛方の店先へ乗りつけると、これがまたわるくないのです。
「直々《じきじき》の目通り、苦しゅうないぞ。主人《あるじ》はおるか」
「おりますが、只今ちょッと家のうちに取込みがござりますゆえ、出来ますことならのち程にでも――」
「その取込事にかかわる急用で参ったのじゃ。おらば控えさせい」
「失礼ながらどちら様でござります」
パラリと静かに頭巾をとると、黙ってさしつけたのは名物のあの眉間傷でした。
「あッ、左様でござりましたか。それとも存ぜず失礼致しましてござります。――旦那様! 大旦那様! 早乙女の御殿様がわざわざお越しにござります! 御早くどうぞこれへ!」
仰天したのは当り前です。あたふたと姿を見せて、物も言えない程に打ちうろたえながらそこへ手をついた六兵衛へ、穏かに言葉をかけました。
「そのように固《かた》くならずともよい。主水之介不審あって罷《まか》り越《こ》したのじゃ。土左船《どざぶね》の者達、こちらへ参った筈じゃが、伜共の死体もう届いたであろうな」
「へえい。と、届きましてござります。半刻程前に御運び下さいましたが、それがちと――」
「いかが致した。生き返ったか!」
「ど、どう仕りまして。伜とは似てもつかぬ全然の人違いなのでござります」
「なにッ。人違いとのう! ほほう、そうか。ちとこれは面白うなって参ったかな。なれども死顔は変るものじゃという話であるぞ」
「よしや変りましても、親の目は誰より確か。年恰好、背恰好はどうやら似ておりまするが、伜はもッと優型《やさがた》でござりました。水死人はむくみが参るものにしても、あのように肥っておりませなんだ筈、親の目に間違いはござりませぬ」
「でも、書置にまさしくその方伜と書いてあったそうじゃが、それは何と致した」
「なにより不審はそのこと。骸《むくろ》は誰が何と申しましょうとも、見ず知らずの他人でござりますのに、どうしたことやら、書置の文字は紛《まぎ》れもなく伜の手蹟《て》でござりますゆえ、手前共もひと方ならず不審に思うているのでござります」
「女の方はどうぞ? 誰袖とやらの骸は、吉原へ送ったか。それともまだこちらにあるか」
「こちらにござります。何が何やらさッぱり合点参りませぬゆえ、庭先に寝かしたままでござりまするが、それもやはり――」
「人違いじゃと申すか!」
「はッ。なにはともかくと存じまして、さ
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