易《まんだいふえき》の礎《いしずえ》も定まり、この先望むところは只御仁政一つあるのみじゃ。ましてや天台の教えは仏法八宗第一の尊い御教《みおしえ》じゃ。さればこそ竜造寺長門、無用の死金預かるよりも、これを活かして費うことこそ御仁政第一と心得て、他へも融通したものを、事々しゅう罪に処するとは何のことじゃ。早々江戸に帰って上申しませい」
 嚇怒《かくど》してこれを斥《しりぞ》けたために、事はさらに大きな波紋を起して、竜造寺長門の言を尤も至極となす者、断じて許すべからず厳罰に処すべしと憤激する者、二派に分れて揉みに揉んだ結果、遂に厳罰派が勝を制して、八千石に削られた秩禄をさらに半分の四千石に減らされた上、神君家康公以来の客分という待遇も、ついに停止の憂き目に会ったのでした。反逆児《はんぎゃくじ》といえば反逆児、風雲児といえば風雲児と言うに憚らないその竜造寺長門守が、どうやら背後に糸を引いているらしいとあっては、主水之介、颯然として色めき立ったのは当然なことです。
「いかがでござります。道場に、どんなカラクリがあるか知らねえが、本当に、竜造寺のお殿様が黒幕にいらっしゃるとするなら、こいつも只の騒動じゃあるめえと存じますゆえ、万ガ一の場合の御用意に、二人三人御朋輩の御旗本衆をでも御連れなすった方がいいと思うんでごぜえます。およろしくばどこへなと御使いに参りますがいかがでごぜえます」
 不安げに峠なしの権次が言ったのを、
「いや、参ろうぞ。参ろうぞ、独りで参ろうぞ。竜造寺長門守骨ある名物男ならば、早乙女主水之介の骨も一枚アバラのつもりじゃ。助太刀頼んで乗り込んだとあらば眉間傷が悲しがろうわ。京弥!」
 颯爽として立ち上がると、時を移さずに命じました。
「このまにも手遅れとなってはならぬ。早う急ぎの乗物用意せい」
 ――長割下水のあたり、しんしんと小夜《さよ》ふけて、江戸の名物木枯もどうやら少し鎮まったらしい気勢《けはい》でした。

       三

 目ざした鼠屋横丁に乗りつけたのはかっきり四ツ――。
 角に乗り物を待たしておいて、武者窓下へ近づいて見ると、なるほど峠なしの権次の言った通り、ちらちらと表へ灯りが洩れて、道場内では話のその宵試合が終ったあとの祝い酒が丁度始まったらしい容子なのです。
「ウフフ。安い酒がそろそろ廻り出した模様じゃな。傷もむずむずとむず痒《かゆ》くなって参ったようじゃ。まさかにこの祝い酒、大工共を首尾よく血祭りにあげた祝い酒ではあるまいな」
「いえ、その方ならば大丈夫でごぜえます。ほら、あれを御聞きなせえまし、夜業《よなべ》でもしておりますものか、あの通り槌《つち》の音が聞えますゆえ、棟梁達《とうりょうたち》の首は大丈夫でごぜえます」
 権次の言葉に耳を澄まして見ると、いかさましんしんと冴え渡る夜気を透して、幽《かす》かに裏口のあたりからトントンカチと伝わって来たものは、まさしく大工達の槌の音でした。
「首のない者が夜業も致すまい。では、久方ぶりに篠崎流の軍学小出しに致して、ゆっくり化物屋敷の正体見届けてつかわそうぞ。羅漢《らかん》共は何名位じゃ。京弥、伸び上がって数えてみい」
「心得ました。――ひとり二人三人五人、十人十三人十六人、すべてで十九人程でござります」
「番五郎はどんなぞ? 一緒にとぐろを巻いているようか」
「それが手前にはよく分りませぬ。真中にふたり程腕の立ちそうなのが坐っておることはおりますが、どちらがどれやら、権次どの、そなた顔を覚えておいでの筈じゃ。ちょっと覗いて見て下さりませ」
「ようがす。しかと見届けましょう。――いえ、あいつらはどちらも釜淵の野郎じゃござんせぬ。恐らく番五郎めは奥で妾と一緒に暖《あった》まってでもいるんでしょう。あの右のガッチリした奴は師範代の等々力門太《とどろきもんた》とかいう奴で、左のギロリとした野郎はたしかに一番弟子の吉田兵助とかいう奴でごぜえます」
「ほほう、左様か。面倒な奴は先ず二人じゃな。どれどれ、事のついでにどの位出来そうか星をつけておいてつかわそう。――なるほど喃。右は眼の配り、体の構え先ず先ず京弥と五分太刀どころかな。左の吉田兵助とやらは少し落ちるようじゃ。では、一幕書いてやろうわい、京弥」
「はッ」
「もそっと耳を寄せい」
「何でござります?」
「そのように近づけいでもいい。のう、よいか。事の第一はこれなる化物道場のカラクリ暴《あば》き出すが肝腎じゃ。それがためには抜いてもならぬ。斬ってもならぬ。手足まといな門人共を順々に先ず眠らしておいて、ゆるゆる秘密探り出さねばならぬゆえ、そのところ充分に心得てな、その腕ならばそちも二三度位は道場破りした覚えがあろう。その折の骨《こつ》を用いて他流試合に参ったごとく持ちかけ、そちの手にあまる者が飛び出て参るまで、当
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