きき届け下さりまして、うれしゅうござります」
 頃はよし!
 ダッともろ手体当てに、雨戸を難なく押し破りながら、先頭に主水之介、つづいて京弥、あとから神官正守の順でいきなり広縁に躍り上がるや、ずいと先ず退屈男が静かに部屋の中へ押し入ると、悠揚莞爾《ゆうようかんじ》としながら、さらに静かに浴びせかけました。
「わッはは。俄か坊主、唐瓜《とうがん》頭が青々と致して滑《なめら》かよ喃。風を引くまいぞ」
「なにッ? よよッ! 貴公は!」
「誰でもない。傷の早乙女主水之介よ。江戸でたびたび会うた筈じゃ。忘れずにおったか」
「何しに参った! 狼狽致して夜中何しに参った!」
「ウフフ、おろか者よ喃。まだ分らぬか。三日前の夜、こちらの沼田先生にお伴《とも》して、百姓共をとり返しに参ったのもこの主水之介よ。そこのその旅姿の女も、身共の妹じゃわい。八万騎一統の名を穢《けが》す不埓者《ふらちもの》めがッ。その方ごときケダモノと片刻半刻たりともわが肉身の妹を同席させた事がいっそ穢らわしい位じゃ。主水之介、旗本一統に成り変って、未練のう往生させてつかわすわッ。神妙に覚悟せい」
「さてはうぬが軍師となって謀《はか》りおったかッ。同輩ながら職席禄高汝にまさるこの大和田十郎次じゃ。屋敷に乱入致せし罪許すまいぞッ、者共ッ者共ッ。狼藉者捕って押えいッ」
 声に、抜きつれながら七八人の近侍達が一斉に襲いかかろうとしたのを、
「何じゃい。何じゃい。わしのこの白髯が目に這入らぬかい。片腹痛い真似を致さば、こやつでプツリ御見舞い申すぞ」
 咄嗟にそこの長押《なげし》から短槍はずし取って青江流《あおえりゅう》手練《てだ》れの位取りに構えながら威嚇したのは、九十一の老神官の沼田正守です。怯《ひる》んで一同たじたじと引き下がったのに苛《いら》ってか、十郎次が剃り立て頭に血脈を逆立てながら代って襲いかかろうとしたのを、一瞬早く退屈男の鋭い命が下りました。
「京弥、青道心《あおどうしん》を始末せい!」
「お差し支えござりませぬか!」
「投げ捕り、伏せ捕り、気ままに致して、押えつけい」
 大振袖がヒラリ灯影《ほかげ》の下に大きく舞ったかと見るまに、もう十郎次は京弥の膝の下でした。
「ま! ……お見事でござります」
 感に堪えたように目を涼しくしたのは菊路です。
「ウフフ。十郎次、ちと痛そうじゃな。その態《ざま》は何のことぞ。それにても一朝事ある時は、上将軍家の御旗本を固むる公儀御自慢の八万騎と申されるかッ。笑止者めがッ。慈悲をかけてつかわすべき筈の領民共を苦しめし罪、お直参の名を恥ずかしめたる不埓《ふらち》の所業の罪、切腹しても足りぬ奴じゃが、早乙女主水之介、同じ八万騎のよしみを以て、涙ある計らいを致して進ぜる。――御老体! 御老体! このまに十一人の可哀そうな女共、早う逃がしておやり下されい」
 心得たとばかりに、近侍の者共を槍先一つであしらいあしらい、向うに消えていった老神官を心地よげに見送りながら、主水之介はどっかと、そこの脇息《きょうそく》に腰打ちかけると、文庫の中の奉書《ほうしょ》を取り出して、さらさらと達筆に書きしたためました。

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 拙者儀、領内の女共を掠めて、不埓の所業仕候段|慚愧《ざんき》に堪えず候間、重なるわが罪|悔悟《かいご》のしるしに、出家遁世仏門《しゅっけとんせいぶつもん》に帰依《きえ》致し候条、何とぞ御憐憫《ごれんびん》を以て、家名家督その他の御計らい、御寛大の御処置に預り度、右謹んで奉願上候。なお家督の儀は舎弟重郎次に御譲り方御計らい下さらばわが家門の面目不過之《めんもくこれにすぎず》、併せて奉願上候。
[#下げて地付きで]願人 旗本小普請頭 大和田 十郎次
[#下げて地付きで]右証人  旗本   早乙女主水之介
 大目付御係御中
[#ここで字下げ終わり]

「どうじゃ。十郎次、よくみい! そちを坊主にさせた仔細これで相解ろう。早う名の下に書判《かきはん》せい」
「何じゃ。こ、これは何じゃ! 勝手にこのようなものを書いて、何とするのじゃ!」
「勝手に書いたとは何を申すぞ、この一|埓《らつ》、表立って江戸大公儀に聞えなば、家名断絶、秩禄没収《ちつろくぼっしゅう》は火を睹《み》るより明らかじゃ。せめては三河ながらの由緒ある家名だけはと存じて、主水之介、わざわざ手数をかけその方を坊主にしてやったのじゃ。有難く心得て書判せい」
 ぐいとその手をねじむけて、介添《かいぞ》えながら十郎次に書判させると、折から晴れ晴れとした顔で再び姿を見せた老神主に、大目付上申のその奉書をさしながら、莞爾《かんじ》として言った事でした。
「御老体いかがじゃ。こうして十郎次を隠居放逐しておいて、家名食禄を舎弟に譲り取らしておかば、この先当知行所の女共は元より、領
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