よ。参ろうぞい」
 飛んだ落し胤の主水之介が、また大層もなく心得ているのです。
「父上。思わぬところで旧悪がバレましたな。ウフフ。では、どうぞお先に、うしろから送り狼が五六匹狙うているようでござりますゆえ、ちょッと追ッ払ってから参ります」
 何者か編笠の中の正体を見届けようとつけ狙って来た小者の方へ、ずいと静かにふり向くと、パチンと高く鍔《つば》鳴りをさせました。音が違うのです。腕の出来る者が鳴らすと、同じ鍔鳴りは鍔鳴りであっても、ピーンと冴えて、音が違うのです。
 早くも強敵と知ったか、たじたじとなってうしろに引いたのを、
「わッははは。軍師が違うわ。うしろ楯におつき遊ばす軍師がお違い申すわ。夜食に芋粥《いもがゆ》でも鱈腹《たらふく》すすって、せいぜい寝言でも吐《つ》かッしゃい」
 すういと消えていった主水之介のその影のあとから、くやしげに屋敷の門が音も荒々しく締まりました。

       五

 そうしていち夜があけました。――深い霜の朝です。
 つづいてまたひと夜があけました。――やはりいちめんに深い霜です。
 三日目の朝がさらに訪れました。――満目荒涼いちめんに白々として、やはり深い霜です。
 日光から江戸まではざッと三十里、飛脚でいって、早駕籠で来るならば、三日目のその今日あたりは、もうそろそろ妹菊路が駈けつける頃でした。待つうちに陽がおち、丁度夕方――。
「御老体」
「何じゃな」
「身共にわるい癖が一つござってな」
「なるほど、なるほど。里心がおつき申したか」
「どう仕って。宿までさせて頂いて、いろいろと御造作に預る居候《いそうろう》の身がわがまま言うて相済まぬが、旅に出るとどういうものか身共、三日目に一度位ずつ、塩ものを食さぬと骨放れが致すようでならぬのじゃ。夕食に何ぞよい干物《ひもの》御無心出来ませぬかな」
「ウフフ。これはどうも恐れ入った。口栄耀《くちえいよう》をした天罰《てんばつ》でござりますわい。お直参旗本千二百石取り疵の早乙女主水之介[#「主水之介」は底本では「主水之」と誤植]と言わるるお殿様が、干物を好物とは話の種でおじゃる。と申すものの、実は、ウフフ、この正守もな」
「御好物か」
「恥ずかしながらこの通り、今日は出そうか今日は出そうかと、そなたに気兼ねして実はこの本箱の奥に隠しておいたのじゃ。口の合うたが幸い、早速に用いましょうわい」
 変り者同士の、きくだにまことに胸のすくような団欒《だんらん》でした。程よく焼いて用いるとき、――ピタピタと言う軽い足音が社務所の玄関口に近づいて来たかと思われるや一緒で、訪《おと》のうた声はまさしく銀鈴のような涼しい女の声です。
「お兄様! お兄様! あの、お兄様はどこにござります」
「おお、菊か。菊路か」
「あい、遅なわりました。只今ようやく参着致しましてござります。お早く! お早く! 御無事なお顔をお早く見せて下さりませ」
「まてまて、今参る今参る。ちょっと今大変なのじゃ。今参る、今参る。――そらみい。兄じゃ、よう見い。傷もあるぞ」
「ま! 御機嫌およろしゅうてなにより……。お色つやもずっとよろしくおなり遊ばしましたな」
「うんうん。旅に出ると干物なぞが頂けて食べ物がよろしいのでな。そちも半年《はんとし》見ぬまにずんと美しゅうなったのう」
「もうそのような御笑談ばかり。――あの、それより、あの方も、あの、あのお方も御一緒にお越しなさりました」
「誰じゃ。書面にはそちひとりに参れと書いてやった筈じゃが、あの方とは誰ぞよ」
「でもあの……、いいえ、あの、あの方でござります。京さまでござります。京弥さまでござります」
「なに? ――いずれにおるぞ?」
「その駕籠の向うに……」
 ひょいと見ると、恥ずかしそうにうつむきながら、駕籠の向うにかくれていたのは、まさしく妹菊路の思い人霧島京弥です。
「わッははは、そちもか。もッと出い。こッちへ出い。恥ずかしがって何のことじゃ。ウフフ、あはは。のう京弥、諺《ことわざ》にもある。女子《おなご》の毛一筋は、よく大象《たいぞう》をもつなぐとな。わはは。そちも菊に曳かれて日光詣りと洒落おったな」
「いえ、あの、そのようなことで手前、お伴《とも》をしたのではござりませぬ。長い道中を菊どのおひとりでは何かとお心もとなかろうと存じましたゆえ、御警固かたがたお伴をしたのでござります」
「なぞと言うて、嘘を申せ。嘘を申せ。ちゃんと二人の顔に書いてあるぞ。菊がねだったのやら、そちが拗《す》ねたのやら知らぬが、別れともない、別れて行くはいやじゃ、なら御一緒にと憎い口説《くぜつ》のあとで、手に手をとりながら参ったであろうが喃。ウフフ、あはは。いや、よいよい、京弥までが一緒に参ったとあらば、風情の上になおひと風情、風情を添えるというものじゃ……。のう御
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