れから宵にかけては心気も澄んで丁度|射頃《いごろ》、御よろしくばすぐ様支度にかかりまするが、いかがでござります」
 不思議な言葉でした。なにから何までがおよそ不審なことばかりです。
 この大弓場にどんな退屈払いがあると言うのか?
 競射をさせて、何を一体どうしようと言うのか?
 いぶかっている退屈男の方をじろりじろりと流し目に見眺めながら、矢場主英膳がやがてそこに取り出したのは、それらを引き出物の景物にするらしく、先ず第一に太刀がひと口《ふり》、つづいて小脇差が二腰、飾り巻の弓が三張り、それに南蛮鉄《なんばんてつ》の鉄扇五挺を加えて都合十一品でした。
 いずれも水引奉書に飾り立てた品々が、ずらずらとそこに並べられたのを見眺めると、胡散げに退屈男を遠巻きにしながら監視していた若侍の面々が、期せずしてざわざわとざわめき立ちました。――と見るやまもなく、つかつかと列を割って出て来たのは、一見尾行隊の隊長と覚しき分別ありげな三十がらみの藩士です。
「よし、引こう! 引いてやろうよ」
「ならば拙者も――」
 言い難い誘惑だったに違いない。それをきっかけに二人三人とつづいてあとから列を割って進み出ると、いずれも競って目を輝かしながら、弓を手にとりあげました。
 矢は各十本。
 的は五寸。
 落ちかかった夕陽が赤々と土壇《どたん》のあたりに散り敷いて、心気もまたしんしんと澄み渡り、まことに競射にはこの上もなくお誂えの夕まぐれです。
 最初にキリキリと引きしぼったのは、あの隊長らしい藩士でした。

       三

「当り一本!」
 スポッと冴え渡った音と共に、高々と呼び立てる声が揚がりました。
「当り二本!」
 つづいて三本。
 つづいて四本。
 さすがは奥地第一の雄藩に禄を喰《は》む若侍だけあって、どうやらこの道の相当|強《ごう》の者らしいのです。と見えたのはしかし四本目までのことでした。五本、六本、七本目とつづいて三本は途方もないところへ逸《そ》れ飛んで、八本目にようやく的中、九本目十本目は、弓勢《ゆんぜい》弱ったか、へなへなと地を這いながら、的下《まとした》二尺あたりのところへ果敢無いむくろを曝《さら》しました。
 入れ代って現れたのは片目の藩士です。しかし、これが射当てたのは四本でした。
「御腑甲斐のない。然らば拙者が見事にあの飾り太刀せしめてお目にかけようよ」
 引き出物の景品にそそのかされでもしたかのごとく、三人目が飛び出して引きしぼったが、的中したのは同じ四本です。
「今度は手前じゃ」
「いや、拙者が早いよ。年の順じゃ。お手際見事なところを見物せい」
 先を争いながら出て来た四人目がまたやはり四本でした、五人目が少し出来て五本。
「口程もない方々じゃな。お気の毒じゃが、然らば拙者があの引き出物頂戴致そうよ。指を銜《くわ》えて見ていさっしゃい」
 広言吐きながらのっしのっしと現れたのは、鎮西《ちんぜい》の八郎が再来ではないかと思われる、六尺豊かの大兵漢です。膂力《りょりょく》また衆に秀でていると見えて、ひと際すぐれた強力《ごうきゅう》を満月に引きしぼりながら、気取りに気取って射放ったまでは大層もなく立派だったが、何とも笑止千万なことに的中したのはたった二本でした。その途端!
「ウフフフ。アハハハハ。笑止よ喃《のう》。ウフフフ、アハハハ」
 爆発するような笑い声があがりました。誰でもない。退屈旗本の早乙女主水之介です。同時に目色を変えて競射に夢中になっていた面々が、さッと色めき立ちました。無理もない。笑ったその笑い声というものが、直参笑いと言うか、早乙女笑いと言うか、いかにもおかしくてたまらないと言った、豪快無双の高笑いだったからです。中でも隊長と覚しき最初の射手のあの若侍が、ぐッと癇《かん》にこたえたと見えて、気色《けしき》ばみながらつかつかと近づいて来ると、俄然、火蓋を切って放ちました。
「な、なにがおかしゅうござる!」
「………」
「返答聞きましょう! 何がおかしゅうてお笑い召さった」
「身共かな」
 言いようがない。まことにその瓢々《ひょうひょう》悠々泰然とした落ち付きぶりというものは、何ともかとも言いようがないのです。のっそりと歩み寄ると、声からしてごく静かでした。
「御用のあるのは身共かな」
「おとぼけ召さるなッ。尊公に用あればこそ尊公に対《むか》って物を申しているのじゃ。何がおかしゅうて無遠慮な高笑い召さった」
「アハハハ。その事かよ。人はな――」
「なにッ」
「静かに、静かに。そのような力味声《りきみごえ》出さば腹が減ろうぞ。もっとおとなしゅう物を申せい。人はな、笑いたい時笑い、泣きたい時泣くものと、高天原八百万《たかまがはらやおよろず》の御神達が、この世をお造り給いし時より相場が決ってじゃ。身共とて人間ぞよ。笑ったのに何の不思議があろうかい。それとも仙台の方々は一生お笑い召さらぬかな」
「そのようなこときいているのではござらぬわッ。手前達の何がおかしゅうて馬鹿笑い召さったのじゃ」
「ははん、そのことか。江戸ではな」
「江戸が何だと申すのじゃ」
「弓は射るもの当てるもの、江戸で引いても当らぬものは富籤《とみくじ》位《ぐらい》じゃ。第一――」
「第一何だと申すのじゃ。何が何だと申すのじゃッ」
「おぬし達のことよ。見ればそれぞれ大小二腰ずつたばさんでおいでじゃが、まさかに似せ侍ではござるまいてな」
「なにッ。似せ侍とは何を申すかッ。どこを以って左様な雑言《ぞうごん》さるるのじゃッ。怪しからぬことほざき召さると、仙台武士の名にかけても許しませぬぞッ」
「ウフフフ。その仙台武士がおかしいのよ。ナマリ節《ぶし》じゃかズウズウ武士じゃか存ぜぬが、まこと武士《もののふ》ならば武士が表芸の弓修業に賭物《かけもの》致すとは何ごとぞよ。その昔|剣聖《けんせい》上泉伊勢守《こうずみいせのかみ》も武人心得おくべき条々に遺訓して仰せじゃ。それ、武は覇者《はじゃ》の道にして、心、王者の心を以て旨となす。明皎々として一点の邪心《じゃしん》あるべからず。されば賭仕合《かけじあい》い、賭勝負、およそ武道の本義に悖《もと》るべき所業は夢断じて致すべからず、とな。弓は即ち剣に次ぐの表芸。さるを何ぞよ。おぬし達が先刻よりの不埒《ふらち》道断《どうだん》な所業は何じゃ。笑うぞ、嗤《わら》うぞ。よろしくばもッと笑おうかい。アハハハ。ウフフ。気に入らぬかな」
 滔々《とうとう》颯爽《さっそう》として士道の本義を説いての傍若無人な高笑いに、躪《にじ》り寄った若侍は返す言葉もなく、ぐッと二の句につまりました。しかし、つまりながらもちらりと何か目交ぜを送ったかと見るまに、笑止です。居合わした二十名近くの藩士達が、いずれもプツリプツリと鯉口切りつつ、それが最初からの手筈ででもあるかのごとくに、じりじりと主水之介の周囲を取り巻きました。
「ほほう、おいでじゃな。何かは知らぬが退屈払いして下さるとは忝《かたじ》けない。しかしじゃ。十箭《とうや》のうち五本も射はずすナマリ武士が、人がましゅう鯉口切るとは片腹痛かろうぞ」
「言うなッ、ほざくなッ」
 つつうと進み出ると、噛みつくように言ったのは擬《まが》い鎮西《ちんぜい》八郎のあの大兵漢です。
「広言申して、ならばおぬし、見事に十本射当てて見するかッ」
「身共かな」
「気取った物の言い方を致さるるなッ。射て見られいッ。見事射当てるならば射て見られいッ」
「所望とあらばあざやかなところ、見物させてとらそうぞ。あるじ! 弓持てい」
 然るにそのあるじ英膳が奇怪でした。仲裁でもするかと思いのほかに、用意をしながらにやりにやりと薄気味わるく笑っているのです。ばかりではない。溜漆重籐飾《ためぬりしげとうかざ》り巻のけっこうやかなひと張りを奥から持ち出すと、ギラリ、目を光らしながら小声で囁きました。
「早乙女の御前。昔ながらのお手並、久方ぶりで存分に拝見致しまするでござります」
「なにッ」
「いえ、さ、早く御前様、お引き遊ばせと申しただけでござります。――いえ、ちょッとお待ちなされませ。陽が落ち切りましたか、急に暗うなりましたゆえ、灯《あかり》の用意を致しまするでござります」
 巧みに言葉を濁すと、あるじ英膳はついと身をそらしながら、灯の支度を始めました。まことに不審です。宿の表に麗々《れいれい》と触れ看板を掲げたからには、早乙女主水之介と知っているに不審は起らないが、昔ながらのお手並久方ぶりに拝見とは、いかにも不審でした。
 しかし、そのまに土壇《どたん》のまわりは、数本の百目ろうそくが立て廻されて、赤々と輝くばかり――。
 いぶかりつつも主水之介は、さッと片肌はねてのけると、おもむろに手にしたは飾り重籐、颯爽《さっそう》としたその英姿! 凛然《りんぜん》としたその弓姿《ゆんすがた》! 土壇のあたり、皎々《こうこう》としてまばゆく照り栄え、矢場のここかしこ仙台藩士の色めき立って、打ち睨むその目、にぎりしめる柄頭《つかがしら》、一抹の殺気妖々としてたなびきながら、主水之介が手にせる重籐、キリキリとまた音もなく引き絞《しぼ》られたかと思われるや、ヒュウと弦音高く切って放たれたかと見るまに的は五寸、当りは黒星――。
「お見事!」
 冴え冴えとした声は英膳でした。
 同時に莞爾《かんじ》としながら言った主水之介の声もわるくない。
「まずざッとこんなものじゃ。五寸の的などに十本射通すがものはなかろうぞ。あるじ、的替えい」
「はっ」
 寸を縮めてつけ替えたのは三寸。
 エイ、ヒョウ、サッと射て放たれた矢は、同しくプツリとまた黒星でした。
「御見事、さすがにござります!」
「何の、他愛もない。今一度寸を縮めい」
「はっ。――的は二寸――」
 サラリ、土壇近くの焔がゆらめいたかと見るまに、同じくプツリ黒星!
「天晴れにござります」
「まだ早い。事のついでじゃ。一条流秘芸の重ね箭《や》を見せてとらそうぞ。的替えい」
 英膳、鞠躬如《きくきゅうじょ》としてつけ替えたのは一寸角の金的です。
 ぐッと丹田に心気をこめて、狙い定まったか、射て放たれた矢は同しくプツリ、返す弓弦に二ノ矢をついだかと見るまに、今的中したその一ノ矢の矢筈の芯に、ヒョウと射て放たれた次のその矢が、ジャリジャリと音立てて突きささりました。
「お見事! お見事! 英膳、言葉もござりませぬ」
「左様のう。先ず今のこの重ね矢位ならば賞められてもよかろうぞ」
 莞爾としながら静かにふりむくと、自若として揶揄《やゆ》しつつ言ったことでした。
「どうじゃ見たか。スン台武士のお歴々。弓はこうスて射るものぞ。アハハハ。江戸旗本にはな、この早乙女主水之介のごとき弓達者が掃くほどおるわ。のちのちまでの語り草にせい」
 途端!――不意です。
 隊長らしいあのいち人が目配せもろ共さッと一同を引き具して主水之介の身辺近くに殺到すると、突然鋭く叫んで言いました。
「隠密じゃッ。隠密じゃッ。やはり江戸隠密に相違あるまい。素直に名乗れッ」
「なに!」
 まことに意外とも意外な言葉です。主水之介はにったり微笑すると泰然として問い返しました。
「なぜじゃ。身共が江戸隠密とは何を以て申すのじゃ」
「今さら白《しら》を切るなッ。千種屋に宿を取ったが第一の証拠じゃ。あの宿の主人《あるじ》こそは、われら一統が前から江戸隠密と疑いかけて見張りおった人物、疑いかかったその千種屋にうぬも草鞋をぬいだからには、旗本の名を騙《かた》る同じ隠密に相違あるまいがなッ」
「ほほう、左様であったか。あれなる若者、何かと心利《こころぎ》いて不審な男と思うておったが、今ようやく謎が解けたわい。なれど身共は正真正銘の直参旗本、千種屋に宿を取ったは軒並み旅籠が身共を袖にしたからじゃ。隠密なぞと軽はずみな事呼ばわり立てなば、あとにて面々詰め腹切らずばなるまいぞ。それでもよいか」
「言うなッ。言うなッ。まこと旗本ならばあのような戯《ざ》れ看板せずともよい筈、喧嘩口論白刄くぐりが何のかのと、無頼がましゅう飄《ひょう》げた事書いて張ったは、隠密の
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