る程の大金でござります。そちらのお馬子衆、あなた方もお拾いではござんせんでしたか」
「拾うもんけえ。そんなでけえ蛙を呑んだ財布を拾や、鈴など鳴らしてまごまごしちゃいねえやな、おいらも知らねえぜ」
「そうでござりまするか。仕方がござんせぬ。お騒がせ致しまして恐れ入りまする。念のため宿までいって探して参ります」
 うろうろと道を探し探し降っていったのを見送りながら、馬子達がにやり目と目を見合わせると、不意に謎のようなことを囁き合いました。
「三公、どうもちッと臭えぜ」
「そうよな。虫も殺さねえような面《つら》していやがったが、あのオボコがそうかも知れねえぜ、大年増に化けたり、娘に化けたりするッて噂だからな。やったかも知れねえよ」
 ちらりとその言葉を耳に入れた早乙女主水之介が、聞き流す筈はないのです。
「何じゃ、何じゃ。化けるとは何の話じゃ」
「いいえね。今の青僧《あおぞう》の五十両ですが、ありゃたしかに掏摸れたんですよ」
「どうしてまたそれを知ってじゃ」
「いるんですよ、一匹この街道にね。それも祠堂金《しどうきん》ばかり狙う女スリだっていうんですがね、三十位の大年増に化けたかと思うと、十七八のかわいらしい奴に化けたりするっていうんですがね。どうもさっきの娘が臭せえんです。足の早えのも、ちッとおかしいが、今登っていったばかりなのに、あの青僧がきょときょと入れ違げえにおりて来たんだからね、てっきりさっきの娘がちょろまかしたに違げえねえんですよ」
 言っているとき、またひとりそわそわしながらおりて来た五十がらみの、同じように講中《こうちゅう》姿した男がありました。しかもそれがやはり言うのです。
「あのう、もし――」
「財布か」
「じゃ、あの、お拾い下さいましたか!」
「知らぬ、知らぬ、存ぜぬじゃ」
「はてね、じゃ、どうしたんだろう。お山に行くまではたしかにあったんだがな。ねえとすりゃ大騒動だ。ご免なんし――」
 通りすぎて程たたぬまに、またひとりきょときょとしながら坂を降って来ると、同じように青ざめながら、ぶしつけに言いました。
「もしや、あの?」
「やはり財布か」
「へえい。そ、そうなんです。祠堂金が二百両這入っていたんですが、もしお拾いでしたら――」
「知らぬ、知らぬ、一向に見かけぬぞ」
「弱ったことになったな。すられる程ぼんやりしちゃいねえんだから、宿へでも置き忘れたのかしら――。いえ、どうもおやかましゅうござんした」
 行き過ぎるや同時に、退屈男の双のまなこは、キラリ冴え渡りました。ひとりばかりか三人迄も同じ難に会うとは許し難い。
「よほどの凄腕《すごうで》と見ゆるな」
「ええもう、凄腕も凄腕も、この三月ばかりの間に三四十人はやられたんでしょうがね、只の一度も正体はおろか、しッぽも出さねえですよ」
「根じろはどこにあるか存ぜぬか」
「それがさっぱり分らねえんです。お山に巣喰っていると言う者があったり、いいやそうじゃねえ、南部の郷にうろうろしているんだと言う者があったりしていろいろなんだがね、どっちにしてもあッしゃさっきの娘が臭せえと思うんですよ。――きっとあの手でやられたんだ、おいらにさっき道をきいたあの伝でね、袂をくねくねさせながら恥ずかしそうに近よって来るんで、ぼうッとなっているまにスラれちまったんですよ。――それにしても姿の見えねえっていうのは奇態だね、どこへずらかッちまったんだろうな。なにしろ、この霧だからね」
 だが、身延の朝霧、馬返しまで、という口碑伝説は、嘘でない。聖日蓮《しょうにちれん》の御遺徳の然らしむるところか、それとも浄魔秘経《じょうまひきょう》、法華経《ほけきょう》の御功徳《ごくどく》が然らしむるところか、谷を埋め、杜《もり》を閉ざしていた深い霧も、お山名代のその馬返しへ近づくに随《したが》って、次第々々に晴れ渡りました。と同時に、遙か向うの胸つくばかりな曲り坂の中途にくっきり黒く浮いて見えたのは、まさしく女の小さな影です。
「よッ、あれだ、あれだ。殿様、あの女がたしかにそうですよ。だが、もうお生憎だ。この馬返しから先は、お供が出来ねえんだから、スリはともかく、お約束のどじょうの方はどうなるんですかね」
「一両遣わそうぞ。もう用はない、どじょうになろうと鰻になろうと勝手にせい」
 まことにもう用はない。ひとときの退屈払いには又とない怪しき女の姿が分ったとすれば、見失ってはならないのです。吹替小判をちゃりんと投げ与えておくと、すたすたと大股に追っかけました。

       二

 二丁、三丁、五丁。――豪儀《ごうき》なものです。全山ウチワ太鼓に埋まっていると見えて、一歩々々と久遠寺《くおんじ》の七|堂伽藍《どうがらん》が近づくに随い、ドンドンドドンコ、ドドンコドンと、一貫三百どうでもよいのあのあやに畏こ
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