に逃げ出そうとした女スリを横抱きに猿臂《えんび》を伸ばしざま抱きとると、
「総門外までちと土産に入用じゃ。――女! 騒ぐでない。江戸旗本がじきじきに抱いてつかわすのじゃ」
 もがき逃れようとして焦るのを軽々と荷物のように運びながら、うしろにおどおどしている恋の二人を随えて、ずいずいと歩み出しました。
 しかしその時、荒法師玄長のひと泡吹かしてやろうと言うのはそれであるのか、ドンドンとけたたましく非常太鼓を打ち鳴らしながら、表の闇に対って叫ぶ声が聞かれました。
「霊場を荒す狼籍者《ろうぜきもの》が闖入《ちんにゅう》じゃッ。末院《まついん》の御坊達お山警備の同心衆《どうしんしゅう》! お出合い召されいッ、お出合い召されいッ」
 同時に、あちらから、こちらから霊場聖地の、夜半に近い静寂を破って、ドウドウいんいんと非常の太鼓が非常の太鼓につづいて鳴りひびいたかと思われるや、けたたましく叫び合ってどやどやと足音荒く殺到《さっとう》する気勢《けはい》が伝わりました。
 だが退屈男の自若《じじゃく》ぶりというものはたとえようがない。
「わははは、人足を狩り出して御見送り下さるとは忝《かたじ》けない。それもまた近頃ずんと面白かろうぞ」
 不敵に言いすてながら二人をうしろに、女を荷物にしたままで、急がず騒がず総門目ざしました――途端!
「あれじゃ! あれじゃ!」
「搦《から》めとれッ。搦めとれッ」
 口々にわめき立てながら、行く手に殺到して来たのは僧兵もどきの二三百人と、身ごしらえ厳重なお山同心の一隊です。
「ほほう、揃うてお見送りか、夜中大儀々々」
 少しあの向う傷の事を考えればよいのに、さッと恐れ気もなく行く手を塞いだのは八九名。同時に一喝が下りました。
「眉間をみいッ。眉間の三日月をみいッ。天下御免の通行手形じゃ。祖師日蓮のおん名のために鞘走《さやばし》らぬまでのこと、それを承知の上にて挑みかからば、これなる眉間傷より血が噴こうぞ」
 微笑しながらずいずいと行くのに手が出ないのです。その騒ぎを聞いたか、わッと参籠所から雪崩出て来たのは、善男善女の真黒い大集団でした。見眺めるや退屈男の声は冴え渡りました。
「きけ! きけ! いずれもみなきけ! その方共の懐中を狙うたお山荒しの女スリは、直参旗本早女主水之介が押え捕ってつかわしたぞ! いずれも安心せい!――ではうしろの二人。あれが総門じゃ。ゆるゆる参ろうぞ」
 威嚇しては押し分け、押し分けては威嚇しながら、悠々と総門外へ出ると、冴えたり! その叱咤のすぱらしさ!
「さあ参れッ。この門を外に出でなば斬り棄て御免じゃ。三目月傷も存分に物を言おうぞッ。遠慮のう参れッ」
 だが来ない。来られるわけがないのです。本当に三日月傷があやかにもすさまじく物を言うのであるから、来られるわけがないのです。――その代りに、ちょろちょろと、やって来たのは、どじょう殺し持参のあの三|的《てき》でした。
「よう。日本一のお殿様! 向う傷のお殿様! あッしだ。あッしだ。たまらねえお土産をお持ちだね。お約束だ、お手伝い致しますぜ」
「生きておったか。幸いじゃ。早う舟を用意せい」
「合点だッ。富士川を下るんですかい」
「身共ではない。ここに抱き合うておいでの花聟僧に花嫁僧お二人じゃ。しっぽり語り合うているまに、舟めが岩淵まで連れてくれようぞ。――両人、来世も極楽じゃがこの世もずんとまた極楽じゃ。そのような恋の花が咲いておるのに、つむりを丸めて味気のう暮らすまでがものはない。遠慮のう髪を伸ばして楽しめ。楽しめ。わははは、身共はひとりで退屈致そうからな」
 あい、とばかりに泣き濡れて、いと珍しい僧形《そうぎょう》の花嫁花聟が、恥じらわしげに寄り添いながら、横取りの三公の手引で渡し場目がけつつ闇の道をおりようとしたとき。
「ここにうせたかッ。帰してなるものかッ。いいや、女を渡してなるものかッ。出合えッ、立ち合えッ」
 叫びざま追いかけて来て、荊玉造《いばらだまつく》りの鉄杖《てつじょう》ふりあげながら、笑止にも挑みかかったのは玄長法師です。
「まだ迷いの夢がさめぬかッ。早乙女主水之介、恐れながら祖師日蓮に成り代り奉って、妄執《もうしゅう》晴らしてくれようぞ」
 女を小脇のままで、あッと一閃、抜き払った刀の峯打《みねう》ちです。ぐうう――と長い音を立てながら、六尺入道玄長法師がもろくも悶絶《もんぜつ》しながら、長いうえにも長く伸びたのを見ますと、荷物にしていた女にはこぶし当ての一撃!
「並んで長くなっておらば、貫主《かんす》御僧正《ごそうじょう》が事の吟味遊ばさって、よきにお計らい下さろうぞ、ゆるゆる休息致せ」
 ゆらりゆらりと降りて行く闇の下から言う声がありました。
「日本一の三日月殿様! 花嫁舟は出しましたよう。泣いてね、ぴったり
前へ 次へ
全11ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング