日様が嘘を言う気づかいござりませぬゆえ、本当のことに相違ござりませぬ」
「売僧《まいす》めッ、よくも化かしおッたなッ。道理で必死とあの女を庇いおッたわッ。スリを手先に飼いおる悪僧が衆生済度もすさまじかろうぞ。どうやら向う傷が夜鳴きして参ったようじゃわい。案内召されよ」
 事ここに至らばもう容赦するところはない。篠崎流軍学の必要もない。院代玄長にかかる横道不埒《おうどうふらち》のかくされたる悪業があるとすれば、五万石が百万石の寺格を楯にとって、俗人不犯詮議無用の強弁《ごうべん》を奮おうと、傷が許さないのだ。あの眉間傷が許さないのです。――ずかずか引返して行くと、床しい美しい尼姿の恋娘をうしろへ随えながら、黙ってずいと行学院の大玄関を構わずに奥へ通りました。
「あの、なりませぬ! なりませぬ! どのようなお方もいつ切《せつ》通してならぬとの御院代様御言いつけにござりますゆえ、お通し申すことなりませぬ」
「………」
 駈け出して小賢《こざか》しげに納所坊主《なっしょぼうず》両三名が遮《さえぎ》ったのを、黙々自若《もくもくじじゃく》として、ずいとさしつけたのは夜鳴きして参ったと言った眉間三寸、三日月形のあの冴えやかな向う傷です。
 これにあってはやり切れない。ひとたまりもなく三人の青坊主達はちぢみ上がって、へたへたとそこに手をつきました。
 ずいずいと通りすぎて、目ざしたのはあの女スリが長煙管|弄《もてあそ》んでいると言った庫裡《くり》の奥の離れでした。
「あの灯《あかり》の洩れている座敷が離れか」
「あい。ま! あの方も、念日様も、あそこへ曳かれてまた折檻に合うていなさりますと見え、あの影が、身悶《みもだ》えしておりまするあの影が、わたしの念日様でござります」
 庭の木立ちを透かして見ると、まさしく三つの黒い影が障子に映っているのです。何やら怒号しているのは、あれだあれだ、六尺豊かな荒法師玄長坊でした。
 と見るやつかつかと足を早めて、さッとその障子を押しあけると、まことにどうもその自若ぶり、物静けさ、胆の太さ、言いようがない。
「売僧《まいす》、ちん鴨《かも》の座興《ざきょう》にしては折檻《せっかん》が過ぎようぞ、眉間傷が夜鳴き致して見参《けんざん》じゃ。大慈大悲の衣《ころも》とやらをかき合せて出迎えせい」
「なにッ――よッ。また参ったかッ。た、誰の許しをうけて来入《らいにゅう》致しおった! 退れッ。退れッ。老中、寺社奉行の権職にある公儀役人と雖も、許しなくては通れぬ場所じゃ。出いッ。出いッ。表へ帰りませいッ」
 不意を打たれてぎょッとうろたえ上がったのは、荒法師玄長でした。否! さらにうろたえたのはあの女スリでした。立て膝の蹴出しも淫らがましく、プカリプカリと長煙管を操っていた、あの許し難き女スリでした。両人共さッと身を退《ひ》いて、気色《けしき》ばみつつ身構えたのを、
「騒ぐでない、江戸に名代の向う傷は先程より武者奮い致しておるわ。騒がば得たりと傷が飛んで行こうぞ」
 不気味に、静かに、威嚇しながら、そこに慄え慄え、蹲《うずくま》っている、わたしの念日様なる恋の対手の若僧をじろりと見眺めました。――無理はない。まことに恋の娘が尼にまでなったのも無理がない、実に何ともその若僧《じゃくそう》が言いようもない程の美男なのです。
「ほほう、川下の尼御前、羨ましい恋よ喃」
「いえ、あの、知りませぬ。そんなこと知りませぬ。それより念日様をお早く……」
「急がぬものじゃ。今宵から舐《な》めようとシャブろうと、そなたが思いのままに出来るよう取り計らってつかわそうぞ。ほら、繩目を切ってつかわすわ」
「よッ、要らぬ御節介致したなッ。何をするかッ。何をッ」
 血相変えて玄長が詰《なじ》ったのは当然でした。
「女犯《にょぼん》の罪ある大罪人を、わが許しもなく在家《ざいけ》の者が勝手に取り計らうとは何ごとかッ」
「たけだけしいことを申すでない。ひと事らしゅう女犯の罪なぞと申さば裏の杜《もり》の梟《ふくろう》が嗤《わら》おうぞ」
「ぬかしたなッ。では、おぬし、五万石の尊い寺格、許しもうけずに踏み荒そうという所存かッ。詮議禁制、俗人不犯の霊地を荒さば、そのままにはさしおきませぬぞッ」
「またそれか、スリの女を手飼いに致す五万石の寺格がどこにあろうぞ。秘密はみな挙ったわッ。どうじゃ売僧《まいす》! そちの罪業《ざいごう》、これなる恋尼に、いちいち言わして見しょうか!」
「なにッ!……」
「そのおどろきが何よりの証拠じゃ。どうじゃ売僧! これにても霊地荒しの、俗人不犯のと、まだ四の五の申すかッ」
「そうか! 女めがしゃべったか。かくならばもう是非もない! ひと泡吹かしてくれようわッ」
 だッと掴みかかろうとしたのを、静かにするりとかいくぐっておいて、疾風のよう
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