れを押し破ったならば破って破れないことはないが、そのため怪我人を出し、血を見るような事になったら、他の猪勇《ちょゆう》に逸《はや》る旗本なら格別、わが早乙女主水之介には出来ないのです。霊地を穢《けが》すその狼藉《ろうぜき》が、わが退屈男の気性気ッ腑として出来ないのです。ましてや対手は代役ながら、治外の権力ともいうべき俗人不犯の寺格を預かっている寺僧でした。これが僧衣の陰に隠して、飽くまでも匿まおうと言うなら、まことに篠崎流の軍学以外にひと泡吹かする途はない。
「わははは。あの荒法師なかなかに胆《たん》が据っておるわ。いや、よいよい。ずんときびしく退屈払いが出来そうじゃ。ひと工夫致してつかわそうぞ」
五
引き揚げてのっそりと帰ろうとしたとき、それ見たことか小気味がいいわと言うように、嘲笑いながら院代玄長が消えていった同じその行学院《ぎょうがくいん》の小暗い庭先から、隠れるようにつつうと走り出して来たのは、黒い小さな人の影です。しかも引き揚げようとしている退屈男の行く手に塞がると、不意に呼びかけました。
「もうし、あの、殿様、お願いでござります」
「なにッ」
同時にギラリ、退屈男の目が冴え渡りました。頭《つむり》も丸い、僧衣も纏っているのに、まさしく今の、もうしあのと言った声音《こわね》は女だったからです。
いや、声音ばかりではない。プーンと強く鼻を打ったものは、まぎれもなく若い女性の肌の匂いでした。その上に色がくっきり白い、夜目にもそれと分る程にくっきりと白いのです。のみならずその面《おも》ざしは、円頂僧衣《えんちょうそうい》の姿に変ってこそおれ、初《う》い初いしさ、美しさ、朝程霧の道ではっきり記憶に刻んでおいたあの謎《なぞ》の娘そっくりでした。――刹那! 退屈男の鋭い言葉が飛んだのは言うまでもない。
「不敵な奴めがッ、また化けおったなッ」
「いえ、御勘違いでござります。滅相もござりませぬ。御勘違いでござります」
「申すなッ、娘に変り年増に変り、なかなか正体現さぬと聞いておるわ。自ら飛び出して来たは幸いじゃ。窮命《きゅうめい》してつかわそうぞ。参れッ」
「いえ、人違いでござります。人違いでござります。わたくしそのようなものではござりませぬ。只今悲しい難儀に合うておりますゆえ、お殿様のお力にすがろうと、このように取り紊《みだ》した姿で、お願いに逃
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