ざまをみろ! 罪あらば斬って差支えないと申したゆえ、罪ある馬を成敗したのじゃ。勝手に吠えるといいわッ」
 憎々しげに言ってすてると、ひらりと馬の背に打ち跨りながら一散走りでした。
「まてッ。馬鹿者! 待たぬかッ。馬鹿者!」
 同時に退屈男が呼び叫びながらそのあと追いかけていったが、もう遅い。対手は小憎らしいことにも馬上なのです。並木の松に砂塵を浴びせながら、すでにもう遠く街道の向うでした。
「ヘゲタレよ喃。あれこそまさしく京できいたヘゲタレじゃ」
 苦《に》が笑いしながらとって返すと、血の海の断末魔の悲しい嘶《いなな》きをつづけながら、のたうち苦しんでいる愛馬の首を、わが子のようにしッかと抱きかかえて、声も絶え絶えと嘆き悲しんでいた若者へ、詫びる[#「詫びる」は底本では「詑びる」と誤植]ように呼びかけました。
「許せ、許せ、身共の扱いようがわるかった。あのような情知らずの奴等と分らば、手ぬるく致すではなかったに、馬鹿念押して馬を成敗致すとは、奴なかなかに、味をやりおったわい。さぞ無念であろうが、嘆いたとて詮ないことじゃ。これなる馬の代りは、身共がもそッと名馬|購《あがな》い取ってつかわそうゆえ、もう泣くのはやめい。のう、ほら、早う手を出せ、足りるか足りぬかは知らぬが十両じゃ、遠慮のう受取ったらよかろうぞ」
「………」
「なぜ手を出さぬ。これでは足りぬと申すか」
「滅、滅相もござりませぬ。恵んで頂くいわれござりませぬゆえ、頂戴出来ませぬ……」
「物堅いこと申す奴よ喃。いわれなく恵みをうけると思わば気がすまぬであろうが、これなる黒鹿毛、身共に売ったと思わば、受取れる筈じゃ。早う手を出せ」
「いえ、なりませぬ。くやしゅうござりまするが、無念でもござりまするが、それかと言うて見も知らぬお方様から、そのような大金頂きましては、先祖に――、手前共先祖の者に対しても申しわけありませぬ」
「なに、では、その方の先祖、由緒深い血筋の者ででもあると申すか」
「いいえ、只の百姓でござります。家代々の水呑み百姓でござりまするが、三河者《みかわもの》は権現様《ごんげんさま》の昔から、意地と我慢と気の高いのが自慢の気風《きふう》でござりまする。それゆえ頂きましては――」
「いや、うれしいぞ、うれしいぞ、近頃ずんとまたうれしい言葉を聞いたものじゃわい。三河者は意地と我慢と気の高いが自慢とは、五千石積んでもきかれぬ言葉じゃ。なにをかくそう、身共の先祖も同じこの国育ち、そうきいては意地になっても取らせいではおかぬ。早う手を出せ」
「では、あの、お旦那様も――」
「そうよ。権現様御自慢の八万騎旗本じゃ」
「そうでござりましたか。道理でちッと――」
「ちッといかが致した」
「類のない御気性のお方と、男惚れしていたのでござります」
「男惚れとは申したな、いや話せるぞ、話せるぞ。ならばこれなる十両、惚れたしるしに取ると申すか」
「頂きまするでござります。頂きませねばお叱りのあるのは必定、それがまた三河育ちの御殿様達が御自慢の御気風でござりましょうゆえ、喜んで頂戴いたしまするでござります」
「いや申したな、申したな、なかなか気の利いたことを申す奴じゃ。ついでにもう十両遣わそう。そちらの十両は馬の代、こちらの十両は身共もそちへ惚れたしるしの結納金じゃ。これで少し胸がすッと致したわい。だが、それにつけても――」
 心憎いは今の二人です。
「目ざした先はまさしく東《あずま》じゃ。今より急いで追わばどこぞの宿《しゅく》で会うやも知れぬが、いずれの藩士共かな」
「薩摩の方々でござります」
「なに! 島津の家中《かちゅう》じゃと申すか」
「はっ。たしかにそれに相違ござりませぬ」
「とはまた、どうして知ってじゃ」
「どうもこうもござりませぬ。今日その島津様が参覲交替でお江戸入りの御道中遊ばします筈にござりまするゆえ、よく存じているのでござります。いいえ、手前ばかりではござりませぬ。何と申しまするか、御大藩の御領主様と申すものは兎角わがまま育ちでいられますのか、島津のお殿様がこの街道をお通りの折は、なにかと横道《おうどう》なお振舞いを遊ばしまして、お手討ちになったり、通行止めをされたり、ここらあたりの百姓共は毎度々々むごい迷惑をうけておりますゆえ、厄病神《やくびょうがみ》の御通りだなぞ申して、誰も彼もみんなお日どりから御時刻までもよう存じているのでござります。それゆえ、わたくしもまたつまらぬ災難に会うてはと存じまして、あのように急いで馬を洗いましたのに、とんだ悲しいことになったのでござります」
「ほほう、左様か。いかにもな、七十三万石と申さばなかなかに大禄じゃからな。島津の大守も大禄ゆえにいささか御慢心と見ゆるな。いや、そう承わっては――鳴って参った。急に血鳴りが致して参ったわい。家臣
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