でござります。ちッとやそッとのお鳥目では、あの、何でござりますゆえ、今宵はもうあの――」
「控えい! 曲輪《くるわ》遊びは金より気ッ腑が資本《もとで》の筈じゃ。金も必要とあらば、江戸より千二百石、船で運んでとらすわ。それにても足りずば、将軍家に申しあげて直参振舞い金を一万両程お貸し下げ願うてつかわすゆえ、遠慮せずに八ツ橋とやらを早う呼べい」
はしなくももらした将軍家直参云々の一語におぼろげながら退屈男の身分の何であるかを知ったか、なすところもなく呆然として見守っていた大尽一座の者が、いささかばかり荒肝《あらきも》をひしがれた形で、ぎょッとしながら互いに顔を見合わしているとき、あたりにえも言いがたい異香の香をただよわせて、新造、禿、一|蓮托生《れんたくしょう》の花共を打ち随えながら、長い廊下をうねりにうねって来たのは、問題のその八ツ橋太夫でした。しかもこれが、一脈の気品をたたえて、不埓《ふらち》なほどに美人なのです。
「ほほう、なかなかあでやかじゃ喃《のう》。――女! 早う伝えい。江戸の男が、気ッ腑を資本に遊びに参ったと、早う八ツ橋に伝えい」
きいて知り、事のいきさつもあらまし知ったと見えて、間《あい》の襖のところから太夫八ツ橋が、花の八ツ橋、かきつばたにもまごう気品豊かな面をのぞかせながら、まじまじと退屈男の姿を見眺めていましたが、嫣然《えんぜん》として笑いをみせると、
「ぬしはん。またおいでやす――」
一|揖《ゆう》しながらくるりとうしろを向くと、ぴたり襖をしめきりました。
「わははは、なかなか鮮かにあしらいおる喃。参った、参った。見事に負けたか。いや、よい、よい。京の女子《おなご》も存外と面白いわ。――さてのう。負けたとならば何とするかな」
快然と打ち笑みながら、どうしたものかというように考えていたのを、隣りの一座は知ってか、知らずか、暫く騒がしいざわめきをつづけていましたが、そのとき不意に鋭く叫んだ声が、[#底本では「、」が脱落]襖の向うからきこえました。
「やっぱり睨んだ通りじゃッ。切支丹宗徒に相違ないッ。珠数屋、神妙にお繩うけいッ」
四
「はてな!?[#「!?」は横一列]」
意外に思って退屈男は、すっくと立ち上がると、一刀はしッかと左手、きらりとまなこを光らしながら、さッと襖をあけました。
と――見よ! 一瞬前とは主客事かわっ
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