…?」
「何を慄えているのじゃ。大事ない、大事ない。知っておらばちと尋ねたい事があるが、存じておるか」
「左様でござりましたか。あてはまた、あまり旦那はんが怕《こわ》い顔していなはりますゆえ、叱られるのやないかと思うたのでござります。お尋ねというは何でござります」
「今のあれじゃ。珠数屋の大尽じゃ」
「ああ、あれでござりまするか。あれはもうえらい鼻つまみでござりましてな。ああして所司代付きのお武家はんを用心棒に買い占めなはって、三日にあげずこの廓《さと》をわがもの顔に荒し廻っていやはりますさかい、誰もかれも、みなえらい迷惑しているのでござります」
「ほほう、ではあれなる武家達、所司代詰の役人共じゃと申すか」
「ええ、もう役人も役人も、何やら大分高いお役にいやはります方々やそうにござりますのに、どうしたことやら、あのようにお髯《ひげ》のちりを払っていやはりますさかい、お大尽がまたいいこと幸いに、小判の威光を鼻にかけて、なすことすることまるで今清盛《いまきよもり》のようでござります」
きくや、退屈男の江戸魂は、公私二つの義憤から勃然《ぼつぜん》として燃え上がりました。歴たる公職にある者達が、身分も役柄も忘れて一町人の黄金力に、拝跪《はいき》するかのごとき屈辱的な振舞いをするからこそ、珠数屋のお大尽なる名もなき輩《やから》が増長しているに相違ないのです。増長していればこそまた、世間をも甘く見、人をも甘く見て、今のさきのごとく、あらゆる事を小判の力に依って解決しようと、あのような思い上がった振舞いをもしたに相違ないのです。
「よかろう! ひと泡吹かしてやろうわ。奴等の根城《ねじろ》は何という家じゃ」
「ほら、あそこの柳の向うに、住の江、と言う灯り看板が見えますやろ。あれが行きつけの揚げ屋でござります」
退屈男は躊躇なくあとを追いました。――折から島原の宵は、ほんのり夢色に暮れ果てて、柳の葉陰に煙る夕霧、霧にうるんでまばたく灯影。その灯影の下を雪駄《せった》の音が風に流れて、京なればこそ往き来の人の姿も、みやびやかにのどかでした。それゆえにこそまた、退屈男の江戸前ぶりは、威風あたりを払って圧倒的に爽かでした。いや、威風ばかりではない。その気品、水ぎわ立った恰幅《かっぷく》、直参なればこそ自ら溢れ出る威厳です。
「出迎えせい!」
ずばりと言って、教えられたその住の江の店先
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