わないところが、どう見てもやはり元禄の泰平振りでした。
それもいく分気に入らないためもありましたが、刻限も少しおくれていましたので、退屈男はわざと旗本席をさけて、諸侯の陪臣《ばいしん》共が見物を差し許されている一般席の、それもなるべく目立たないうしろへこっそりと席をとりました。
そのまにも試合は番組通りに開始されて、最初の十二番の槍術が滞《とどこお》りなく終ってから、呼びものの馬術にかかったのが丁度お午《ひる》。これがやはり十二番あって、その中でも当日の白眉とされていた四頭立ての早駈けにとりかかったのが、かれこれ八ツ前でした。
乗り手は先ず第一に肥前家《ひぜんけ》の臣で、大坪流《おおつぼりゅう》の古高新兵衛《ふるたかしんべえ》。
第二には宇都宮藩士《うつのみやはんし》で、八条流の黒住団七《くろずみだんしち》。
第三には南部家《なんぶけ》の家臣で、上田流の兵藤《ひょうどう》十兵衛。
第四には加賀百万石の藩士で、荒木流の江田島勘介。
いずれもこれ等が、各流派々々の達人同士で、同じ早駈けは早駈けであっても、今の競馬とはいささか趣きを異にして、それぞれの流派々々に基づく奥儀振りを
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