かったのが丁度五ツ頃――
と――はしなくもその四ツ辻を向うへ通り過ぎようとした、七八人の供揃いいかめしい一挺の駕籠が、退屈男の目を射ぬきました。駕籠そのものは、高々二三万石位の小大名らしい化粧駕籠というだけの事でしたから、一向に何も不審なところはなかったが、強く退屈男の注意を惹いたのは、その供揃いの者達のいぶかしい足どりです。どことなく板につかない節が見えたので、慧眼そのもののような鋭い囁きが、すぐと権之兵衛のところに飛んでいきました。
「兵衛、兵衛。どうやら少し匂いがして参ったぞ。あの供の奴等の腰つきをみい!」
「何ぞ奇態な品でも、ぶら下げておりまするか」
「品が下がっているのではない、あの腰つきなのじゃ。根っからの侍共なら、あのように大小を重たげにさしてはいぬわ。打ち見たところいずれも大小に引きずられているような様子――ちとこれは百化けの匂いが致して参ったぞ」
囁きながら歩度を伸ばして、ぴたり塀ぎわに身を寄せたとき、それとも気づかないで怪しの供が、丁度そこへ行きかかった京弥の女装姿を見かけて、ふと、列を割りながら近づいたようでしたが、まもなく呼びかけた声がきかれました。
「これ、もし、そこのお嬢さま」
「あい――」
京弥が造り声色《こわいろ》をしながら、したたるばかりのしなをみせつつ艶《えん》に答えたのをきくと、供侍が提灯をさしつけてきき尋ねました。
「目なし小路へ参るのでござりまするが、どこでござりましょうな」
――途端! それが常套手段の一つでもあるとみえて、近づいた供侍の合図と共に、ぐるぐると他の七八名が、案の定|浚《さら》いとるべく京弥の身辺を取り巻きましたので、こちらの二人が等しく目を瞠《みは》ったとき――だが、この薄萠黄色お高僧頭巾の艶なる女が、もはや説明の要もない位に少しばかり手強《てごわ》い京弥です。六日前から、そうあるべき事を待ちあぐんでいた矢先でしたから、ひらひらと緋色《ひいろ》の裾端《すそはし》を空《くう》に散らすと、ぱたり、ぱたりと得意の揚心流当て身で、先ずその両三名をのけぞらしました。
それと見て、手間かかってはと思ったに違いない。――駕籠の垂れを排してそこに姿を見せたものは、それも百化け中のうちにある変装の一つと見えて、巧みにつくった大名姿の十吉です。
「面倒な!」
と言うように猿臂《えんぴ》[#ルビの「えんぴ」は底本では「えんび」と誤植]を伸ばして、京弥の背に手を廻そうとしたのを、体を沈めて素早く腰車にかけると、もんどり打たして笑止なる化け大名をとって投げました。
しかし、十吉とてもなかなかにさるもの、投げ出されたかと見るまに、くるり一つ廻って立ち直ると、おそろしく言葉の汚ない大名もあればあるもので、憤りながら叫びました。
「太てえ奴だッ。この女、男だぞ。俺のお株を奪やがって、何か仔細あるに違げえねえ。そらッ、野郎共、のしちまえッ」
正体を見破られたと知ったので、権之兵衛が叫びながら駈け出しました。
「百化け十吉! もう逃がさぬぞッ」
ばたばたと走りよったものでしたから、ぎょッとなったのは言わずと知れた十吉でした。
「そうかッ。木ッ葉役人の化け手先だったかッ。うぬらに捕まる百化けのお兄さんかい。へえい、さようなら。おとといおいでよ――」
配下のものに女装の京弥をさえぎらしておいて、ひたひた逃げのびようとしたので、何条権之兵衛の許すべき、韋駄天《いだてん》にそのあとを追っかけました。
とみて、ようやく退屈男も塀かげから姿を見せると、小走りにそのあとを追って参りましたが、こはそも不思議! 今、そこの小暗い蔭に、ちらり十吉の大名姿が吸いこまれたかと思ったあいだに、どうしたことか切支丹《きりしたん》伴天連《ばてれん》の妖術ででもあるかのごとく、すうとその姿が見えなくなったので、丁度そこへ配下の者をのけぞらしておいて、逸早く走りつけた京弥共々、等しく三人があっけにとられているとき、不意にそこの小屋敷のくぐり門が、ぎいと開かれると、ひょっこりいち人の旅僧が黒い影を地に曳きながら立ち現れました。
「馬鹿者。やったな」
素早く認めて、退屈男がずかずかと歩みよったかと見えましたが、ぬうっとその前に立塞《たちふさ》がると、むしろ気味のわるい太い声で呼びかけました。
「こりゃ、そこの御坊!」
ふりかえったのをその途端――
「十吉ッ、化け方がまずいぞッ」
言いざま片手でそのあじろ笠を押え、残る片手でおのが黒覆面をばらりはぎとると、折からさしのぼった月光の下にさッとあの凄艶きわまりない面をさらしながら、威嚇するように言いました。
「この顔をみい! そちが一番怖い長割下水の旗本退屈男じゃ」
「げえッ」
おどろいたもののごとく身をすりぬけようとしたのを、押えてぐいと対手の頤《あご》を引きよせながらさしのぞくと――見えました。確かに月の光りでありありと見届けられたものは、あの目印の頤の疵です。
「額の疵と、頤の疵と、珍しい対面じゃの。もう文句はあるまい。じたばたせずと、権之兵衛に手柄をさせてつかわせい」
けれども、十吉は必死でした。渾身の勇を奮って、その手をすりぬけながら、やにわとまた逃げのびようとしたので、大きくひと足退屈男の身体があとを追ったかと見えた刹那――
「馬鹿者ッ、行くつもりかッ」
裂帛《れっぱく》の叱声が夜の道に散ったと同時で、ぎらりと銀蛇《ぎんだ》が閃いたかと思われましたが、まことに胸のすく殺陣でした。すでに化け僧の五体は、つう! と長い血糸をひきながら、そこにのけぞっていたところでした。
「おッ。少し手が伸びすぎたか」
呟きながら青白い月光の隈明《くまあか》りで、細身の刀身にしみじみと、見入っていましたが、そこへ権之兵衛が駈け走って参りましたので、にんめり微笑すると、詫びる[#「詫びる」は底本では「詑びる」と誤植]かのごとくに言いました。
「許せ、許せ。生かしたままでそちの手柄にさせるつもりじゃったが、これが血を吸いたがってのう。つい手が伸びてしまったのじゃ」
そして、京弥をかえり見ながら、揶揄《やゆ》して言いました。
「もう十日程、そちを女にして眺めたいが、さぞかし菊めが待ち焦れておろうゆえ、かえしてやるか喃《のう》――」
底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行
1997(平成9)年1月20日新装第8刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:大野晋
校正:皆森もなみ
2000年6月28日公開
2001年10月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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