お願げえでごぜえます」
「なに、そちの身柄を予に匿まえとな!?[#「!?」は横一列]」
「へえい。どう人違いしやがったか、何の罪科《つみとが》もねえのに、御番所の木ッ葉役人共めが、この通りあっしを今追いかけ廻しておりやすんで、御願げえでごぜえやす。ほんのそこらの隅でよろしゅうごぜえますから、暫くの間御匿まい下せえまし」
「ほほう、町役人共が追いかけおると申すか。だが、匿まうとならばこの後の迷惑も考えずばなるまい、仔細はどんなことからじゃ」
「そ、そんな悠長な事を、今、この危急な場合に申しあげちゃいられませぬ。な、ほら、あの通りどたばたと、足音がきこえやすから、後生でごぜえます。御前のお袖の蔭へかくれさせて下せえまし」
「いや、匿まうにしたとて、そう急《せ》くには及ばぬ。無役ながらも千二百石を賜わる天下お直参のわが屋敷じゃ、踏ん[#ママ]込んで参るにしても、それ相当の筋道が要るによって、まだ大事ない。かいつまんで事の仔細を申せ」
「それが今も申し上げた通り、仔細もへちまもねえんですよ。御前の前《めえ》で素《す》のろけらしくなりやすが、ちっとばかり粋筋《いきすじ》な情婦《いろ》がごぜえやしてね、ぜひに顔を見てえとこんなことを吐かしがりやしたので、ちょっくら堪能させておいて帰《けえ》ろうとしたら、何よどう人《ひと》間《ま》違げえしやがったか、身には何も覚えがねえのに、役人共が張ってやがって、やにわに十手棒がらみで御用だッと吐かしゃがッたので、逃げつ追われつ、夢中であそこの塀をのりこえてめえりやしたが、もっけもねえ。それが御前のお屋敷だったと、只これだけの仔細でごぜえます」
「でも、そち、そのふところにドスを呑んでいるようじゃが、何に使った品じゃ」
「えッ――なるほど、こ、こりゃ、その、何でごぜえます。情婦の奴が、こんな物を知合の古道具屋が持ち込んで来たが、女には不用の品だから何かの用にと、無理矢理持たして帰《けえ》しやしたのを、ついそのままにしていただけのことなんでごぜえますから、後生でごぜえます。もう御勘弁なすって、どこかそこらの隅へ拾い込んで下せえまし」
「ちとそれだけの言いわけでは、そちの風体と言い、面構《つらがま》えと言い、主水之介あまりぞっとしないが、窮鳥《きゅうちょう》ふところに入らば猟師も何とやらじゃ。では、いかにも匿まってつかわそうぞ。安心せい」
 だからどこか部屋のうちにでも匿うのかと思うと、そうではないので、ここら辺が江戸名物旗本退屈男の面目躍如たるところですが、安心いたせと言ったにも拘らず、風体怪しきそれなる血まみれ男を、ちゃんとそこの庭先へすて置いたままでしたから、その時御用提灯をかざしながら、どやどやと押し入って来た町役人共の目に当然のごとく発見されて、すぐさま罵り下知する声があがりました。
「こんなところへ逃げ込みやがって、手数をかけさせる太い奴じゃ。うけい! うけい! 神妙にお縄をうけいッ」
 きくや、退屈男の蒼白秀爽な面《おもて》に、ほんのり微笑が浮いたかと見えましたが、一緒にピリピリと腹の底に迄も響くかのごとくに言い放たれたものは、小気味よげなあの威嚇の白《せりふ》です。
「あきめくら共めがッ、この眉間の三日月形が分らぬかッ」
「………?![#「?!」は横一列]」
「よよッ」
「………!」
「分ったら行けッ」
「早乙女の御前とは知らず、お庭先をお騒がせ仕って恐れ入ってござります。なれ共、それなる下郎はちと不審の廉《かど》あって召捕らねばならぬ者、役儀に免じてお下げ渡し願われますれば仕合せにござります」
「では、行けと申すに行かぬつもりかツ[#ママ]」
「はは、申しおくれましてござりまするが、拙者は北町奉行所配下の同心、杉浦権之兵衛と申しまする端役者《はやくもの》、役儀に免じて手前の手柄におさせ願われますれば、身の冥加《みょうが》にござります」
「ならば行けッ。無役なりとも天下お直参の旗本じゃ。上将軍よりのお手判《てはん》お差紙《さしがみ》でもを持参ならば格別、さもなくばたとい奉行本人が参ったとて、指一本指さるる主水之介[#「主水之介」は底本では「主水介」と誤植]ではない。ましてやその方ごとき不浄|端《は》役人に予が身寄りの者引き立てらるる節はないわッ。行けッ、下がれッ」
「えッ。では、それなる下郎、御前の御身寄りじゃと申さるるのでござりまするか!」
「言うが迄もない事じゃ。当屋敷の内におらば即ち躬《み》が家臣も同然、下がれッ、行けッ」
 口惜しがって地団駄踏んでいましたが、鳶の巣山初陣が自慢の大久保彦左以来、天下の大老老中とても滅多な事では指を触れることの出来ない、直参旗本の威厳が物を言うのでしたから、まことに止むをえないことでした。
「………!」
「………!」
 いずれも歯を喰いしばりつつ、無言の
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