、あく迄京弥がひとり歩きであるかのごとくに見せかけるべく、権之兵衛とふたり離れ離れにあとを追いました。
 道は先ず両国橋から人形町へぬけ、あれを小伝馬町から本石町に廻り、さらにまた日本橋へ下って、それから京橋、尾張町と人出の多そうなところを辿りながら、ずっと更に南迄のして、芝神明前迄いったときがかれこれもう四ツ前――即ち今の時刻にして丁度九時半頃です。
 しかし、折角の囮もその夜はいささか徒労でした。通りすがりに京弥を見かけながら、「ちえッ。ぞっとするような別嬪《べっぴん》じゃねえかよ。男一匹と生れたからにゃ、たったひと晩でいいから、あんなのとなに[#「なに」に傍点]してみていな」
「そうよな。お嬢さんにしちゃひとり歩きのところが、存外とこりゃ乙な筋合いかも知れねえぞ」
 なぞと声高にしつつ、行きすぎたいくたりかのざれ男共はありましたが、肝腎の百化け十吉らしい者に出会わなかったことは、いかにも残念と言うべきでした。
 然るにその翌あさでした。
「御前! 実に太い奴ではござりませぬか。朝程御番所から元の手下が来ての知らせによりますと、御眼力通り御前の毒殺されたという噂に安心してからか、たしかに百化け十吉らしい奴がゆうべ牛込の藁店《わらだな》に現れまして、そこの足袋屋小町と言われておりました若い娘を、巧みに浚《さら》っていったという訴えがあったげにござりまするぞ」
 不幸こちらの囮網にこそはかからなかったが、まさしく十吉とおぼしき者の出没した事を権之兵衛が報告いたしましたので、退屈男の目を光らしたのは言うまでもなく、その夜同じ頃が訪れると、再びまた京弥を女装させつつ、長割下水の屋敷を立ちいでました。しかも、その出かけていった道筋が、前夜と全く同様の町々でしたから、ちょっとばかり奇態に思われましたが、しかしここが実はやはり退屈男の凡夫でない証拠なのです。夜毎々々に道筋町筋を取り替えて釣りに出かけるよりも、根気よく焦らずに同じ方面をさ迷っていたら、いつかは必ず百化け十吉の目に止まる時があるだろうと考えたからでした。
 だのに、何とも腹の立つ事には、第二夜も囮は結局徒労でした。第三夜も第四夜もまた空しい努力に帰しました。そうして根気よく第六夜目に、同じく京弥を囮に仕立て、人形町から小伝馬町への俗に目なし小路と称した、一丁目も二丁目もない小屋敷つづきの、やや物寂しい一廓へさしかかったのが丁度五ツ頃――
 と――はしなくもその四ツ辻を向うへ通り過ぎようとした、七八人の供揃いいかめしい一挺の駕籠が、退屈男の目を射ぬきました。駕籠そのものは、高々二三万石位の小大名らしい化粧駕籠というだけの事でしたから、一向に何も不審なところはなかったが、強く退屈男の注意を惹いたのは、その供揃いの者達のいぶかしい足どりです。どことなく板につかない節が見えたので、慧眼そのもののような鋭い囁きが、すぐと権之兵衛のところに飛んでいきました。
「兵衛、兵衛。どうやら少し匂いがして参ったぞ。あの供の奴等の腰つきをみい!」
「何ぞ奇態な品でも、ぶら下げておりまするか」
「品が下がっているのではない、あの腰つきなのじゃ。根っからの侍共なら、あのように大小を重たげにさしてはいぬわ。打ち見たところいずれも大小に引きずられているような様子――ちとこれは百化けの匂いが致して参ったぞ」
 囁きながら歩度を伸ばして、ぴたり塀ぎわに身を寄せたとき、それとも気づかないで怪しの供が、丁度そこへ行きかかった京弥の女装姿を見かけて、ふと、列を割りながら近づいたようでしたが、まもなく呼びかけた声がきかれました。
「これ、もし、そこのお嬢さま」
「あい――」
 京弥が造り声色《こわいろ》をしながら、したたるばかりのしなをみせつつ艶《えん》に答えたのをきくと、供侍が提灯をさしつけてきき尋ねました。
「目なし小路へ参るのでござりまするが、どこでござりましょうな」
 ――途端! それが常套手段の一つでもあるとみえて、近づいた供侍の合図と共に、ぐるぐると他の七八名が、案の定|浚《さら》いとるべく京弥の身辺を取り巻きましたので、こちらの二人が等しく目を瞠《みは》ったとき――だが、この薄萠黄色お高僧頭巾の艶なる女が、もはや説明の要もない位に少しばかり手強《てごわ》い京弥です。六日前から、そうあるべき事を待ちあぐんでいた矢先でしたから、ひらひらと緋色《ひいろ》の裾端《すそはし》を空《くう》に散らすと、ぱたり、ぱたりと得意の揚心流当て身で、先ずその両三名をのけぞらしました。
 それと見て、手間かかってはと思ったに違いない。――駕籠の垂れを排してそこに姿を見せたものは、それも百化け中のうちにある変装の一つと見えて、巧みにつくった大名姿の十吉です。
「面倒な!」
 と言うように猿臂《えんぴ》[#ルビの「えんぴ」は底本では
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