がらさしのぞくと――見えました。確かに月の光りでありありと見届けられたものは、あの目印の頤の疵です。
「額の疵と、頤の疵と、珍しい対面じゃの。もう文句はあるまい。じたばたせずと、権之兵衛に手柄をさせてつかわせい」
けれども、十吉は必死でした。渾身の勇を奮って、その手をすりぬけながら、やにわとまた逃げのびようとしたので、大きくひと足退屈男の身体があとを追ったかと見えた刹那――
「馬鹿者ッ、行くつもりかッ」
裂帛《れっぱく》の叱声が夜の道に散ったと同時で、ぎらりと銀蛇《ぎんだ》が閃いたかと思われましたが、まことに胸のすく殺陣でした。すでに化け僧の五体は、つう! と長い血糸をひきながら、そこにのけぞっていたところでした。
「おッ。少し手が伸びすぎたか」
呟きながら青白い月光の隈明《くまあか》りで、細身の刀身にしみじみと、見入っていましたが、そこへ権之兵衛が駈け走って参りましたので、にんめり微笑すると、詫びる[#「詫びる」は底本では「詑びる」と誤植]かのごとくに言いました。
「許せ、許せ。生かしたままでそちの手柄にさせるつもりじゃったが、これが血を吸いたがってのう。つい手が伸びてしまったのじゃ」
そして、京弥をかえり見ながら、揶揄《やゆ》して言いました。
「もう十日程、そちを女にして眺めたいが、さぞかし菊めが待ち焦れておろうゆえ、かえしてやるか喃《のう》――」
底本:「旗本退屈男」春陽文庫、春陽堂書店
1982(昭和57)年7月20日新装第1刷発行
1997(平成9)年1月20日新装第8刷発行
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:大野晋
校正:皆森もなみ
2000年6月28日公開
2001年10月10日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
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