「えんび」と誤植]を伸ばして、京弥の背に手を廻そうとしたのを、体を沈めて素早く腰車にかけると、もんどり打たして笑止なる化け大名をとって投げました。
 しかし、十吉とてもなかなかにさるもの、投げ出されたかと見るまに、くるり一つ廻って立ち直ると、おそろしく言葉の汚ない大名もあればあるもので、憤りながら叫びました。
「太てえ奴だッ。この女、男だぞ。俺のお株を奪やがって、何か仔細あるに違げえねえ。そらッ、野郎共、のしちまえッ」
 正体を見破られたと知ったので、権之兵衛が叫びながら駈け出しました。
「百化け十吉! もう逃がさぬぞッ」
 ばたばたと走りよったものでしたから、ぎょッとなったのは言わずと知れた十吉でした。
「そうかッ。木ッ葉役人の化け手先だったかッ。うぬらに捕まる百化けのお兄さんかい。へえい、さようなら。おとといおいでよ――」
 配下のものに女装の京弥をさえぎらしておいて、ひたひた逃げのびようとしたので、何条権之兵衛の許すべき、韋駄天《いだてん》にそのあとを追っかけました。
 とみて、ようやく退屈男も塀かげから姿を見せると、小走りにそのあとを追って参りましたが、こはそも不思議! 今、そこの小暗い蔭に、ちらり十吉の大名姿が吸いこまれたかと思ったあいだに、どうしたことか切支丹《きりしたん》伴天連《ばてれん》の妖術ででもあるかのごとく、すうとその姿が見えなくなったので、丁度そこへ配下の者をのけぞらしておいて、逸早く走りつけた京弥共々、等しく三人があっけにとられているとき、不意にそこの小屋敷のくぐり門が、ぎいと開かれると、ひょっこりいち人の旅僧が黒い影を地に曳きながら立ち現れました。
「馬鹿者。やったな」
 素早く認めて、退屈男がずかずかと歩みよったかと見えましたが、ぬうっとその前に立塞《たちふさ》がると、むしろ気味のわるい太い声で呼びかけました。
「こりゃ、そこの御坊!」
 ふりかえったのをその途端――
「十吉ッ、化け方がまずいぞッ」
 言いざま片手でそのあじろ笠を押え、残る片手でおのが黒覆面をばらりはぎとると、折からさしのぼった月光の下にさッとあの凄艶きわまりない面をさらしながら、威嚇するように言いました。
「この顔をみい! そちが一番怖い長割下水の旗本退屈男じゃ」
「げえッ」
 おどろいたもののごとく身をすりぬけようとしたのを、押えてぐいと対手の頤《あご》を引きよせな
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