痛手にこらえかねて、身をよろめかしたとき、ひらひらと京弥の小姓袴が、艶《えん》に美しく翻えったと見えましたが、ばっと対手のふところに飛び入ると、刹那に施されたものは遠気当《とおきあ》て身の秘術でした。
「ざまをみろッ、卑怯者ッ」
 ばたりとそこへ非人をのけぞらしておくと、何はともかく主水之介の安否が気がかりでしたから、取り急いで駕籠側へ駈けかえると、何とこはそもいかに! ――悠然と垂れを排しつつ、微笑しいしい姿を見せた者は余人ならぬ退屈男です。しかも、至って事もなげに言うのでした。
「これはどうも、いやはや、ずんと面白いわい。段々と退屈でのうなりおったな」
「では、あの、お怪我をなさったのではござりませなんだか!」
「南蛮の妖器《ようき》ぐらいに、江戸御免の退屈男が、みすみす命失ってなるものかッ。この通り至極息災じゃ」
「でも、ううむと言う、お苦しそうな呻き声があったではござりませぬか!」
「そこじゃそこじゃ。人と人の争いは武器でもない。技ばかりでもない。智恵ぞよ、智恵ぞよ。この主水之介の命など狙う身の程知らずだけあって、愚かな奴めが、わしの兵術にかかったのさ。早くも胡散《うさん》な奴と知ったゆえ、二度目に駕籠脇へ近よろうとした前、篠崎竹雲斎《しのぎきちくうんさい》先生《せんせい》お直伝《じきでん》の兵法をちょっと小出しに致して、ぴたり駕籠の天井に吸いついていたのじゃよ」
「ま! さすがはお殿様にござります。京弥ほとほと感服仕りました」
「いや、そちの手並も、弱年ながらなかなか天晴れじゃ。これでは妹菊めの参るのも無理がないわい。――では、どのような奴か人相一見いたそうか」
 言うと、泡を吹かんばかりに悶絶したままでいる非人の側へ騒がずに歩みよったかと見えましたが、ぱッと片足をあげると、活代《かつがわ》りに、相手の脾腹《ひばら》のあたりを強く蹴返しました。一緒に呼吸をふきかえして、きょときょとあたりを見廻していた非人の面《おもて》をじろりと見眺めていましたが、おどろいたもののごとく言いました。
「よッ。姿かたちこそ非人に扮《つく》っているが、まさしくそなたは前夜のあの町方役人じゃな」
 まことに、意外から奇怪へ、奇怪から意外へ、つづきもつづいた出来事ばかりと言うべきでしたが、気がつくと同時にぎょッと非人のおどろいたのも亦当然なことです。
「しまったッ。さてはまんまと計
前へ 次へ
全18ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング