ん》ながらも形を整えていましたが、肝腎の上働らきに従事する腰元侍女小間使いの類は、唯の半分も姿を見せぬ変った住いぶりでした。しかも、それでいてこの変り者は、もう三十四歳という男盛りであるのに、いち人の妻妾すらも蓄えていないのでしたから、何びとが寝起きの介抱、乃至は身の廻りの世話をするか、甚だそれが気にかかることでしたが、天はなかなか洒落た造物主です、いともうれしい事に、この変り者はいち人の妹を与えられているのでした。芳紀まさに十七歳、無論のこと玲瓏《れいろう》玉《たま》をあざむく美少女です。名も亦それにふさわしい、菊路というのでした。
 さればこそ居間へ這入って見ると、すでにそこには夜の物の用意が整えられていましたので退屈男はかえったままの宗十郎頭巾姿で、長い蝋色鞘すらも抜きとろうとせずに、先ずごろり夜具の上へ大の字になりました。
 と――、その物音をききつけたかして、さやさや妙なる衣摺《きぬず》れの音を立てながら、近よって来たものは妹菊路です。だが、殊のほか無言でした。黙ってすうと這入って来ると、短檠《たんけい》の灯影《ほかげ》をさけるようにして、その美しい面を横にそむけながら、大の字となっている兄のうしろに黙々と寝間着を介添えました。それがいつもの習慣と見えて、退屈男も黙然《もくねん》として起き上がりながら、黙然として寝間着に着替えようとした刹那! 聞えたのはすすり泣きです。
「おや! 菊、そちは泣いているな」
 図星をさされてか、はッとして、慌《あわ》てながら一層面をそむけましたが、途端にほろほろと大きな雫《しずく》が、その丸まっちく肉の熟《う》れ盛った膝がしらに落ち散ったので、退屈男の不審は当然のごとくに高まりました。
「今迄一度もそのような事はなかったが、今宵はまたどうしたことじゃ」
「………」
「黙っていては分らぬ。兄が無役で世間にも出ずにいるゆえ、それが悲しゅうて泣いたのか」
「………」
「水臭い奴よな。では、兄が毎晩こうして夜遊びに出歩きするゆえ、それが辛うて泣くのか」
「………」
「わしに似て、そちもなかなか強情じゃな。では、もう聞いてやらぬぞ」
 と――、もじもじ菊路が言いもよって、どうした事かうなじ迄もいじらしい紅葉に染めていましたが、不意に小声でなにかを恐るるもののごとくに念を押しました。
「では、あのおききしますが、お兄様はあの決して、お叱
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