ひた、ひた、と宵の表へ駆けだしました。音蔵と同じところで人が切られたと呼んでいるのです。しかも、同じかっこうをして切られていると叫んでいるのです。なるほど、北松山町の通りを、火の見やぐら目ざしながら走りつけてみると、もうあたりは、いっぱいの黒だかりでした。
必死とその群衆を追い散らしている自身番の御用ちょうちんに、ちらりと目まぜを送りながら、面を隠すようにして、火の見の下へ近づきました。しかし、同時に右門も伝六も、おもわずぎょっとなりながら棒立ちになりました。
うつ伏せに倒れているむくろの頭に、見たような五分|月代《さかやき》がつやつやと光っているのです。傷も、音蔵そっくりのうしろ袈裟《けさ》でした。ぐさりとみごとな一刀切りでした。
「顔をみせろ」
ぐいと、自身番の小者がねじむけたその顔を見るといっしょに、ふたりはさらに愕然《がくぜん》と二度おどろきました。まさしく、あの御家人なのです。ひとりか、ふたりか、定めのつかぬあの顔が、白目を空《くう》に見ひらいて、無言のなぞの下に、無言の死をとげているのです。
「ちくしょうめ。人をからかったまねしやがるね。毛はどうだ。毛は! 張りつけ毛じゃあるめえね」
「ひっぱってみる暇があったら、あっちへいったほうがはええや。ついてきな!」
しかって、名人はまっしぐらにお駒のうちを目ざしました。疑問はそれです。同一人ならいるはずはない。別人だったら、ふたりだったら、あるいはまだお駒のうちに似た顔のあの町人が、とぐろを巻いているかもしれないのです。
しかし、はいるといっしょに、ふたりは目をみはりました。
いない。――似た影も、それらしい着物のはしも、ぱったりこの世から消えてなくなりでもしたように、どのへや、どの座敷のうちにも見えないのです。
かわりに、お駒がぽつねんとただひとり、奥の茶の間のまんなかにすわっているきりでした。おどろきも、悲しみも、うろたえも、ろうばいも、なんの感情もない人のように、青ざめた顔をしょんぼりと伏せながら、ほのぐらい灯《ひ》をあびて、黙々とすわっているのでした。
しかし、そのほそい青みすんだ手には、ほそい竹むちがあるのです。
やまがらを使うむちでした。
ゆらりと、畳の上に、ほそいむちの影が流れたかと思うと、あいていたかごの中から、ぴょんぴょんと、すき毛の美しい小鳥の影が飛び出しました。
「駒《こま》!」
「…………」
「お駒といっているんだ。聞こえねえのか!」
しかし、お駒は、血も熱もしぼりとられた、耳のない人のようでした。ふり向きもしないのです。返事もしないのです。名人の鋭い声もそしらぬ顔に、黙然とすわったまま、青い手の中のほそいむちを、ゆらりゆらりと動かしました。
右へ動けば右へ飛び、左へ動けば左へ飛んで、こわいほどにも人慣れのしたやまがらが、手のむちの動くたびにその影を追いながら、ぴょんぴょんとおどり歩きました。とみるまに、むちが大きくゆれたかと思うと、やまがらもまたピョンと大きく舞いながら、お駒の肩へ飛び移りました。
チュウチキ、チュウチキさえずりながら、しきりとなにかお駒の耳に話しているのです。
「やめろッ」
「…………」
「用があるんだ。尋ねたいことがあるんだ。鳥をしまいなよ!」
「…………」
「さっきの野郎は、どこへ消えてなくなったんだ」
「…………」
「口はねえのか! お駒! 返事をしろ! 返事を!」
だが、お駒はちらりと横目で見あげて、うっすらと笑ったまま、そしらぬ顔でまたゆらり、ゆらりとむちを動かしました。
やまがらがまた慣れきっているのです。お駒のふきげんをけんめいに慰めようとでもするように、きょときょとと身ぶりおかしく首をふりながら、あちらへ、こちらへ、しきりとおどり歩きました。
腹をたてたのは伝六です。
「じれってえね。このつら構えは、ひと筋なわでいく女じゃねえんだ。ものをいわなきゃいうように、ぎゅっとひとひねり草香のおまじないをしておやりなせえよ!――やい! 駒! 口を持ってこい! 口を!」
「…………」
「むかむかするね。ひとひねりひねりあげりゃ、どんな強情っぱりでも音をあげるにちげえねえんだ。草香は春さきききがよし、女ならばなおききがよしと、物の本にもけえてあるんですよ。甘いばかりが能じゃねえんだ。いわなきゃあっしが目にものを見せてやらあ。――ものをいえ! ものを! いわなきゃ十手が行くぞ! 十手が!」
おそいかかろうとしたのを、ひらりとお駒のむちが横に動いたかと思うと、免許皆伝どころか、実にみごとな手の内でした。いつ払いおとされたか、ぽろりと伝六の十手がもう足もとに落ちていたのです。
しかも、お駒はにこりともせずに、しんとした顔をして、ゆらりゆらりと、むちを軽くふりながら、やまがらをあしらっているのでした。あちらへ、こちらへ、――と思って、ひょいと気がつくと、どこへ姿を消したか、そのやまがらがいないのです。
名人はもとより、当のお駒もはっと気がついたとみえて、われ知らず身をねじ向けながら、へやのうちを見捜しました。
といっしょに、背のうしろで、ばたばたとかすかな羽音があがりました。今の伝六のひと騒動におどろいて舞い逃げたとみえて、意外なところに止まっていたのです。
隣のへやの仏壇の中でした。
ただの仏壇ではない。たかが浅草の芸人ふぜいには珍しくりっぱな、珍しく大きな、へやにも座敷にもふつりあいなくらいにみごとな仏壇なのでした。
その中の位牌《いはい》の上に、きょとんと止まって、きょときょとと首を振っているのです。
ちらりと見ながめると同時に、右門の目がぴかりと鋭く光りました。
位牌がまたすばらしく大きく、すばらしくりっぱなのです。ばかりか、その表に刻まれてある戒名が、穏やかならぬ戒名でした。
「貫心院釈名剣信士――」
という字が見えるのです。院号、信士はとにかくとして、釈名剣と、剣の一字の交じっているのは、あきらかに町人ではない。
「武士だな!」
「…………」
「おやじか。お駒! それとも兄か!」
「…………」
「だれだ、この位牌の主は! いずれにしても、おまえの身寄りだろう! 身分もたしかに武士だろう! 伝六をあしらった今の手の内、昼間お白州で、この右門のつぶてをみごとにかわした身のこなし、ただのやまがら使いじゃあるめえ。強情を張っているおまえのつらだましいからしてが、たしかに武家育ち、槍《やり》ひと筋のにおいがするんだ。武士だろう! 親だろう! それとも兄か! 亭主か!」
鋭くたたみ込んだのに、しかしお駒は気味わるく押し黙ったままでした。うっすらと、小バカにしたように笑いながら、ものうげにまた、ゆらり、ゆらりとむちを動かして、位牌の上のやまがらを招きよせました。
動くその影にひかれて、ぴょんぴょんとおどりながら、やまがらが、ふた足み足歩いたかと思うと、せつな、意外なものが点々と畳の上に残りました。
血です。血です。飛んできたその道筋に、ちいさく赤いもみじのようなやまがらの足跡が、濃く、薄く、だんだんとかすれて、二つ、三つ、四つと畳の上に残ったのです。
同時でした。右門よりもお駒があっとおどろいて、われ知らず声をたてながら飛びかかると、うろたえ青ざめながら、あわてて血の足跡をもみ消しました。
しかし、おそい。
名人の目は、すでに早くいなずまのように光って、ぴょんぴょんと散っているもみじの跡を追っていたのです。――跡は、咲いたように赤く畳をたどって、がっちりと大仏壇の乗っている板床の上で終わっているのでした。
じっと見ると、その板床の上に、ねっとりとした血のぬめりがあるのです。しかも、その血のぬめりは、大仏壇の下から流れ出た血のたまりでした。下段いっぱいにこしらえた戸だなの戸の合わせめから、ちょろちょろと糸を引いて流れ出ているのです。
ちゅうちょなく、名人の手は戸だなの戸にかかりました。しかし、それと同時に、おもわずぎょっと身を引きながら、立ちすくみました。
ぬっと手がのぞきました。顔がのぞきました。足がのぞきました。折り曲げたように死体を折って、戸だないっぱいに押し込めてあったのです。
しかも、その顔!
すばりとみごとに片耳を削って、深く肩まで切りさげられてはいたが、顔は、血によごれたその顔は、まぎれもなくさきほどのあの青月代《あおさかやき》の町人でした。
やはり、ふたりだったのです。
ひとりではない、似た顔どうしの別人だったのです。
「野郎ッ、化かしやがったね。火の見の下であっちが死んだら、こっちも煙のように消えてなくなったんで、てっきり一匹と思っていたんだ。ちくしょうめ、よくも今まで迷わしやがったね。それにしても、切ったはだれなんだ。お駒! だれが殺したんだ、やい、お駒!」
牙《きば》をむかんばかりにしてほえたてている伝六の横から、名人は射すくめるような目をむいて、じっとお駒の顔をにらみすえました。
血いろはない。心も魂も、血も感情も、ひえきってしまったように冷然とあしらっていたさすがのお駒も、この動かせぬ事実をあばき出されては、もう隠しきれなくなったとみえて、まっさおになりながら震えているのです。
「ふふん、そうだろう。飼いねこに、いや、飼いやまがらに手をかまれるたアこのことさ。とんだやつが、ぴょんぴょんと飛んだばっかりに、とんだところへもみじをつけて、おきのどくだったな。――その手に覚えがあるはずだ。受けてみろッ!」
えぐるように叫んで、ぱっと大きく名人が泳いだかと思うと、お駒目がけてまっこうから襲いかかりました。
しかし、お駒もさる者、せつなにするりと体をかわすと、あざやかともあざやかな手の内でした。
開いて構えたは、こぶし上段、――すいとその手が中段に下がったかと思うと、位もぴたり、一刀流か神伝流か、中段青眼に位をつけた無手の構えには、うの毛でついたほどのすきもないのです。
見ながめながら、名人が莞爾《かんじ》と大きく笑いました。
捕《と》るとみせて、襲ったのは、実を吐かせるための右門流だったのです。
「その手のうちだ。みごとな構えだ。どこのだれに習った何流か知らねえが、その構え、その位取り、その身のさばきぐあいなら、男のふたりや三人、切ってすてるにぞうさはねえはずだ。どうだえ、お駒、覚えがあろう、むっつり右門の責め手、たたみ吟味は、かくのとおり味がこまけえんだ。もう、知らぬ存ぜぬとはいわさねえぜ。どろを吐きな! どろを!」
「…………」
「音蔵の切り口もすぱりと一刀、今夜の火の見のあの御家人もすぱりと一刀、この仏壇の中のやつもすぱりとひと太刀《たち》、うしろと前と相違はあるが、三人ともみごとな袈裟《けさ》がけの一刀切りだ。腕のたたねえものにできるわざじゃねえ。このお位牌《いはい》もお武家筋、おまえの手の筋もお武家筋、――やまがら使いじつは武家の娘、ゆえあって世間を忍ぶかりの姿のお駒とにらんだが、違うかえ。むっつり右門は手さばきも味がこまけえが、眼《がん》のにらみも味が通ってこまけえつもりだ。これだけたたみ込んだら、もう文句はあるめえ。白状しな! 白状を!」
「…………」
「気のなげえやつだな。春さきゃ啖呵《たんか》がじきに腐るんだ。かけてえ慈悲にも、じきに薹《とう》がたつんだ。世を忍ぶもこの位牌ゆえ、人を切ったもこの位牌ゆえ、――すなおに白状しろとお位牌がにらんでおるじゃねえか。手間をとらせたら、のこのこと動きだすぜ。どうだ、お駒ッ。また六十日ほども牢《ろう》にへえりてえのか」
ぱたり、と折ったように首がさがって、がっくりと体がくずれると、しみじみとした声が、ついにお駒の口から放たれたのです。
「さすがでござんす……。みごとなお目きき、やまがら使いのお駒もかしらがさがりました。なにもかもおっしゃるとおり、そのお位牌もお目がねどおり、槍《やり》ひと筋のものでござります。わたくしもまたおことばどおり、やまがら使いは世を忍ぶかりの姿、いかにも武士の血を引いたものでございます」
「位牌はどなただ」
「兄でござります」
「兄
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