月代《さかやき》が黒く光って、ほろりと苦み走ったちょっといい男の、ひと目に御家人《ごけにん》くずれと思われるような二本差しでした。――ぴかりと名人の目が、はやぶさのように光りました。
「笑わしやがらあ。だから、白州のじゃりもほうってみろというんだよ。川西万兵衛どんのお口上だと、痴情なし、色恋なし、恨みなし、憎みなし、音蔵とお駒はあかの他人だ、他人と他人に刃傷沙汰《にんじょうざた》はねえと見てきたようなことをご披露《ひろう》したが、お駒音蔵、音蔵お駒と一本道にふたりのつながりばかりねらうから、じつあ裏手にこういう抜け道のあったことがわからねえんだ。亭主が人手にかかって、あき家になったみずみずしい女のところへ、長い虫が黒く伸びて寝ているなんて、おあつらえの図じゃねえかよ。どうだえ、あにい」
「なんだ、きさまは! あいさつもなく他人のうちへぬうとはいって、なにをべらべらやっているんだ。おあつらえの図たアどなたさまにいうんだ」
 むくりと起きあがると、ご家人男がふてぶてしくからみついてきたのです。
「だれに断わって、このうちへへえってきたんだ」
「死んだ音蔵にさ」
「ご番所の野郎か」
「しかり」
「何用があるんだ」
「御用筋の通った御用があって来たのよ。ものをきくがね、おまえさんはこのうちのなんですえ」
「親類だ」
「親類にもいろいろござんすぜ。親子兄弟、いとこはとこ、それからも一つご親類というやつがな。あんた、そのごの字のつくほうかえ」
「つこうとつくまいと、いらぬお世話だ。ごの字をつけたきゃ、気に入るようにかってにつけておきゃいいじゃねえか。とにかく、おれはここの親類だよ」
「そうですか。とにかくづきの親類なら、ごの字のつく親類とあんまり遠くねえようだが、まあいいや。それにしても、このうちの暮らしぶりは、ちっと金回りがよすぎるようだね。鳶《とび》のかしらといえば、江戸っ子の中でも金の切れるほうだ。宵越しの金を持たねえその江戸ッ子の主人が死んで、もうふた月にもなる今日、こんなぜいたく暮らしのできるようなたくわえが残っているはずアねえ。暮らしの金はどこからわいて出るんですえ」
「いらぬお世話じゃねえか、縁の下に小判の吹き出る隠し井戸がねえともかぎらねえんだ。捜してみたけりゃ、天井なりと、床の下なりと、もぐってみるがいいさ」
「きいたふうなせりふをおっしゃいましたね。そういうご返事なら、たってききますまいよ。お名はなんていいますえ」
「知らねえや!」
「なるほど、名まえも知らねえ屋どのとおっしゃるか。よしよし、これだけわかりゃたくさんだ。伝六、河岸《かし》を変えようぜ。忙しいんだから、鳴らずについてきなよ」
 しかし、鳴るなといったとて、これが鳴らずにいられるわけのものではない。たちまち、その口がとがりました。
「バカにしてらあ。あんまりむだをするもんじゃねえですよ」
「むだに見えるか」
「むだじゃござんせんか。あんな月代《さかやき》野郎にけんつくをかまされて、すごすごと引き揚げるくれえなら、わざわざ寄り道するがまでのことはねえんだ。お駒を煎《せん》じ直すなら煎じ直すように、早く締めあげりゃいいんですよ」
「そのお駒を締めあげるために、むだ石を打っているじゃねえか。右門流のむだ石捨て石は、十手さき二十手さきへいって生きてくるんだ。文句をいう暇があったら、はええところお駒のねぐらでもかぎつけな」
 捜していったその伝六が、はてな、というように首をかしげました。――音蔵の住まいからはわずかに三町、六十日間も牢《ろう》につながれておったら、さぞやるす宅も荒れすさんでいるだろうと思っていたのに、岩吉店の中ほどで見つけたお駒のその住まいは、表付き、中のぐあい、うって変わってこざっぱりと、なにもかも整っているのです。
 ばかりか、ぬっと上がっていった右門も伝六も、等しくおどろきに打たれて、あっと目をみはりました。
 じつにそっくり、じつにうり二つといいたいほどもそっくりそのままの男が、そっくりなかっこうをして、お駒の腰のあたりをかぐようにしながら、手まくらも楽そうに長々と寝そべっていたのです。年も同じように三十三、四、顔だちもまた苦み走ってちょっといい男の、背もそっくり、肉づきもまたそっくり、ただ変わっているところはその月代《さかやき》のあるなしと、武士と町人との相違でした。あっちは黒々と伸びていたのに、こっちは青々とそりあげて、あっちは見るからにふてぶてしい御家人ふうだったのに、こっちは鳶《とび》の者か職人か、こざっぱりといなせなあにいふうでした。
 しかも、同じようにむっくり起きあがると、同じようにからみついてきたのです。
「どこの野郎だ。なにしに来やがったんだ」
「…………」
「黙ってぬっとへえってきやがって、だれに断わったんだ」
「似たようなことをいうな。おまえはこのうちの、何にあたるえ」
「いらぬお世話じゃねえか。親類だよ」
「なるほど、やっぱり親類か。親類にもいろいろあるが、どんな親類だ。おまえもごの字のつく親類筋のほうかえ」
「どんな筋の親類だろうと、いらぬお世話じゃねえか。ごの字とやらをつけたきゃ、かってにつけておくがいいさ」
 まるでそっくりな言いぐさでした。あっちで同じことをきかれたことも知っていて、同じことをまたあっちで答えたのも知っていて、わざとしらばくれながら同じ返事をしているようにさえも見えるのです。
 名人の目がぴかりと光って、伝六のところへ合い図を送りました。察したか伝六、風のような早さです。まっしぐらに飛び出していったのを、不思議な男がまたじつに奇怪でした。早くもなんの合い図か察しをつけたとみえて、さっと立ちあがると、さき回りをしようとでもするように、ばたばたと裏口から駆けだしました。
 いぶかしんでいるところへ、ほどたたぬまに伝六が、息を切りながら駆け帰りました。――前後して、奇怪な男もまた、ばたばたと裏口から駆けかえりました。
 不思議そうにその姿を見ながめながら、伝六がしきりと首をひねっているのです。むろん、今の目まぜは、あっちの五分月代《ごぶさかやき》とこっちの青月代《あおさかやき》と、別人か同一人か、あっちにあの御家人がいたかどうか、それをたしかめに走らせた合い図なのでした。
 しかし、伝六はいかにも不審にたえないように、必死と首をかしげているのです。男がまた、ひねっている伝六のその顔を見ながめながら、にやり、にやり、と気味わるく笑っているのでした。
 尋常ではない。なにかおそるべき秘密があるに相違ないのです。
「あっしゃ、あ、あっしゃ、こ、こわくなった。ここじゃ、ここのうちじゃ、おっかなくてものもいえねえ。顔を、顔をかしておくんなせえまし……」
 まっさおになって伝六が、名人のそでをひっぱりながら、ぐんぐん表へつれ出していくと、物《もの》の怪《け》を払いおとしでもするように、ぶるぶると身をふるわせました。
「どこかに水があったら、ざあっと一ぺえかぶりてえ。毛が、尾っぽの毛がそこらについているような気がしてならねえですよ。ぎゅっと一つつねってみておくんなさいまし。あっしゃまだ生きておりますかえ」
「バカだな。ひとりで青くなっていたってわかりゃしねえじゃねえか。いってえどうしたんだ。野郎たちゃ全然別人か」
「――のようなところもあるんで、ふたりかと思ったら」
「やっぱりひとりか!」
「――のようなところもあるんですよ。音蔵のうちへ駆けこんでいったら、裏口からもばたばたとあの町人らしい足音が飛びこんできやがってね、と思ったら、表口へぬっと顔が出たんで、さては青月代《あおさかやき》かとよくよくみたら黒い頭なんだ。あの御家人めがにったりやって、なにしに来やがったとにらみつけたんでね、こいついけねえと思って、大急ぎにお駒のうちへ飛んでけえったら、いま見たとおりまたばたばたと裏口から駆け込んできやがって、にやにややっていたんです。こんな気味のわるいこたア二つとありゃしねえ。つらは同じなんだ。年かっこうも同じなんだ。男っぷりもそっくりなんだ。毛がはえたり、なくなったり、飛んであるくうちに月代《さかやき》が青くなったり、黒くなったりするなんてえきてれつは、弘法様だってご存じねえですよ。あっしゃ震えが、ふ、震えが出てならねえんです……」
 いかさま奇怪でした。二町や三町の道を走るうちに、伸びたり消えたり、自由に月代《さかやき》が変わるはずはないのです。しかし、それならばふたりかと思うと、そっくりそのままに似すぎているところが不思議でした。伝六といっしょに飛んでいったのも不思議なら、いったかと思うと月代が変わって、のぞいたというところを推しはかってみると、まさしく同一人のように思えるのです。
「迷わしゃがるな。めんどうだが、手間をかけて、しっぽをつかむより法はあるめえ。両方の近所へいって、人の口を狩り集めてきな」
「聞き込みですかい」
「そうよ。人の毛は肉の下からはえてくるんだ。気ままかってに取りはずしのできる品じゃねえ。ひとりかふたりか、おおぜいの目を借りたら正体もわかるにちげえねえから、ひとっ走りいって洗ってきな」
「よしきた。ちくしょうめ。たっぷりとまゆにつばをつけていってやらあ。どこでお待ちなさるんです。いずれはどこかそこらの食い物屋でしょうね」
「お手のすじさ。おいらが食い物屋と縁が切れたら冥土《めいど》へちけえよ。あの向こうの突き当たりだ。オナラチャズケ、ウジリョウリとひねった看板が見えるじゃねえか。あそこにいるから、舞っておいで」
 夕ばえ近い町を、伝六は左へ、名人は右へ、――お奈良《なら》茶漬《ちゃづけ》宇治料理とかいたのれんが、吸いこむように右門の姿をかくしました。

     3

 半刻、四半刻と、やがて日のいろが薄れて、ほの白い春の宵が、しっとりとたれ落ちました。精いっぱいの聞き込みを集めているとみえて、わかれていった伝六がなかなか帰らないのです。――寝て待ち、起きて待ち、あごと遊んで待っているうちに、人通りもおおかた遠のいた表の町から、ばたばたと景気のいい足音が、下の店さきへ駆けこみました。
「伝六か!」
「しかり!」
「景気がいいな。みやげはどうだ。その足音じゃたんまりとありそうだが、どうだ、わかったか」
「…………」
 しかし、伝六は駆けあがってきた元気とはうって変わって、しょんぼりとたたずみながら、しきりとまゆをぬらしているのです。
「だめなのかい」
「いいえ、だめとはっきり決まったわけじゃねえんだ。音蔵のほうで五軒、お駒のほうで五軒、締めて十軒探ったんですがね。そのうちで、たぶんふたりだろうといったのが――」
「何軒だ」
「締めて五軒あるんですよ。いいや、ひとりかもしれねえといったのが、やっぱり五軒あるんだ。くたぶれもうけさ。いくら探っても、やっぱり、ひとりかふたりか、雲が深くなるばかりで正体はわからねえんですよ」
「なんでえ。ばかばかしい。それなら、なにも景気よく帰ってくるところはねえじゃねえか。今ごろまゆをぬらしたっておそいや」
「おこったってしようがねえですよ。あっしのせいじゃねえんだからね。ふたりかひとりかわからねえようなやつが、このせちがらい世の中をのそのそしているのがわりいんです。ほかに手はねえんだ。どうあっても正体を突きとめるなら、野郎たち両方へ呼び出しをかけるより法はねえんですよ。ひとりだったら一匹来るし、ふたりだったら二匹来るし、そのときの用意にと思って、まゆをぬらしているんだ。――はてな、待ったり! 待ったり! なにか急に騒がしくなりましたぜ」
 ぴたりと声を止めて、伝六が立ちあがりました。――聞こえるのです。ばたばたと、あちらこちらへ駆け走っている騒々しい足音の中から、押しつぶしたような声があがりました。
「人殺しだ!」
「火の見の下ですよ! 音蔵さんと同じところに、同じかっこうをして、また人が切られているんだ。人殺しですよ! 気味のわりい人殺しが、また火の見の下にあるんですよ!」
 むくりと名人が起きあがったかとみるまに、いつにもなくいろめきたって、
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