。あちらへ、こちらへ、――と思って、ひょいと気がつくと、どこへ姿を消したか、そのやまがらがいないのです。
名人はもとより、当のお駒もはっと気がついたとみえて、われ知らず身をねじ向けながら、へやのうちを見捜しました。
といっしょに、背のうしろで、ばたばたとかすかな羽音があがりました。今の伝六のひと騒動におどろいて舞い逃げたとみえて、意外なところに止まっていたのです。
隣のへやの仏壇の中でした。
ただの仏壇ではない。たかが浅草の芸人ふぜいには珍しくりっぱな、珍しく大きな、へやにも座敷にもふつりあいなくらいにみごとな仏壇なのでした。
その中の位牌《いはい》の上に、きょとんと止まって、きょときょとと首を振っているのです。
ちらりと見ながめると同時に、右門の目がぴかりと鋭く光りました。
位牌がまたすばらしく大きく、すばらしくりっぱなのです。ばかりか、その表に刻まれてある戒名が、穏やかならぬ戒名でした。
「貫心院釈名剣信士――」
という字が見えるのです。院号、信士はとにかくとして、釈名剣と、剣の一字の交じっているのは、あきらかに町人ではない。
「武士だな!」
「…………」
「おやじか。お駒! それとも兄か!」
「…………」
「だれだ、この位牌の主は! いずれにしても、おまえの身寄りだろう! 身分もたしかに武士だろう! 伝六をあしらった今の手の内、昼間お白州で、この右門のつぶてをみごとにかわした身のこなし、ただのやまがら使いじゃあるめえ。強情を張っているおまえのつらだましいからしてが、たしかに武家育ち、槍《やり》ひと筋のにおいがするんだ。武士だろう! 親だろう! それとも兄か! 亭主か!」
鋭くたたみ込んだのに、しかしお駒は気味わるく押し黙ったままでした。うっすらと、小バカにしたように笑いながら、ものうげにまた、ゆらり、ゆらりとむちを動かして、位牌の上のやまがらを招きよせました。
動くその影にひかれて、ぴょんぴょんとおどりながら、やまがらが、ふた足み足歩いたかと思うと、せつな、意外なものが点々と畳の上に残りました。
血です。血です。飛んできたその道筋に、ちいさく赤いもみじのようなやまがらの足跡が、濃く、薄く、だんだんとかすれて、二つ、三つ、四つと畳の上に残ったのです。
同時でした。右門よりもお駒があっとおどろいて、われ知らず声をたてながら飛びかかると、うろたえ青ざめながら、あわてて血の足跡をもみ消しました。
しかし、おそい。
名人の目は、すでに早くいなずまのように光って、ぴょんぴょんと散っているもみじの跡を追っていたのです。――跡は、咲いたように赤く畳をたどって、がっちりと大仏壇の乗っている板床の上で終わっているのでした。
じっと見ると、その板床の上に、ねっとりとした血のぬめりがあるのです。しかも、その血のぬめりは、大仏壇の下から流れ出た血のたまりでした。下段いっぱいにこしらえた戸だなの戸の合わせめから、ちょろちょろと糸を引いて流れ出ているのです。
ちゅうちょなく、名人の手は戸だなの戸にかかりました。しかし、それと同時に、おもわずぎょっと身を引きながら、立ちすくみました。
ぬっと手がのぞきました。顔がのぞきました。足がのぞきました。折り曲げたように死体を折って、戸だないっぱいに押し込めてあったのです。
しかも、その顔!
すばりとみごとに片耳を削って、深く肩まで切りさげられてはいたが、顔は、血によごれたその顔は、まぎれもなくさきほどのあの青月代《あおさかやき》の町人でした。
やはり、ふたりだったのです。
ひとりではない、似た顔どうしの別人だったのです。
「野郎ッ、化かしやがったね。火の見の下であっちが死んだら、こっちも煙のように消えてなくなったんで、てっきり一匹と思っていたんだ。ちくしょうめ、よくも今まで迷わしやがったね。それにしても、切ったはだれなんだ。お駒! だれが殺したんだ、やい、お駒!」
牙《きば》をむかんばかりにしてほえたてている伝六の横から、名人は射すくめるような目をむいて、じっとお駒の顔をにらみすえました。
血いろはない。心も魂も、血も感情も、ひえきってしまったように冷然とあしらっていたさすがのお駒も、この動かせぬ事実をあばき出されては、もう隠しきれなくなったとみえて、まっさおになりながら震えているのです。
「ふふん、そうだろう。飼いねこに、いや、飼いやまがらに手をかまれるたアこのことさ。とんだやつが、ぴょんぴょんと飛んだばっかりに、とんだところへもみじをつけて、おきのどくだったな。――その手に覚えがあるはずだ。受けてみろッ!」
えぐるように叫んで、ぱっと大きく名人が泳いだかと思うと、お駒目がけてまっこうから襲いかかりました。
しかし、お駒もさる者、せつなにするりと体をかわすと、
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