カ所きりでござります」
「夜はどなたが二階におやすみでござるか」
「どうして、どうして、見らるるとおりこれは自慢の客間でござりますのでな。寝るどころか、家人のものもめったにあげませぬ。この下がてまえども家族の居間に寝間、雇い人どもは向こうの別棟でござります」
「その雇い人はいくたりでござる」
「まず代脈がひとり、それから書生がふたり、下男がひとり、陸尺《ろくしゃく》がふたり、それに女中がふたり」
「うちうちのご家族は?」
「てまえに、家内、それから娘、それから――いいや、いいや、それだけじゃ、ことし十九になる娘がひとりきりでござります」
「しかとそのお三人か!」
「まちがいござりませぬ。天にも地にも娘がひとり、親子三人きりでござります」
「別棟からの廊下は筒ぬけでござるか。それとも、なにか仕切りがござるか」
「大ありでござります。なにをいうにも、表のほうへは、朝から晩までいろいろの病人が出はいりしますのでな、奥と表とごっちゃになって不潔にならぬようにと、昼も仕切り戸で仕切って、夜は格別にきびしく雇い人どもへ申し渡してありますゆえ、この二階はおろか、奥へもめったには参られませぬ」
 奥への出入りさえもきびしく止めてあるというのです。しかし、外からこの二階へはいりうべき足場は、なおさらどこにもないのでした。ないとしたら、伝六のいうがごとく、絵みずからが血を吹けば知らぬこと、でないかぎり、ホシはまず家の中に、とにらむのが至当です。
「しようがねえ、あんまりぞっとしねえ手だが、やっつけてみようぜ。ねえ、おい、あにい」
「へ……?」
 ふり向いた顔へ、ぽつりと不意に不思議な右門流が飛びだしました。
「なにか踏み台をお借り申して、なげしへこの絵をみんな裏返しにして掛けな」
「裏返し!」
「掛けりゃいいんだ。早くしな!」
 床の間の一軸も裏返しに掛けさせて、ずらり七枚並んだのを見ながめると、静かに三庵に命じました。
「いらざる口をさしはさんではいけませぬぞ。雇い人からがよい。家の者残らずを順々にここへ呼んでまいらっしゃい」

     3

 待ちうけているところへ、ことりことりと下から足音が近づいて、若い男の顔がまずぽっかりと現われました。
「書生か」
「さようでござります」
「名は?」
「平四郎と申します」
 なにかもっときくだろうと思ったのに、それっきりです。
「よし。行け」
 けげんそうに帰っていったのと入れ違いに、また若い顔が現われました。
「おまえも書生だな」
「さようでござります」
「親は男親がすきか、母親がすきか」
「は……?」
「よしよし。もう帰れ」
 不思議そうに首をかしげて降りていったあとから、ことことと足音が近づきました。軽いその足音を聞いたばかりで、あげもしないのです。
「よし、わかった。下男だな。来んでもいい。かえれ」
 入れ違いに重い足音が近づくと、代脈らしい男の顔が現われました。ちらりとその顔を見たばかりです。
「よし。おまえにも用はない。早く行け。あとはふたりずつ来るよう言いつけろ」
 これもけげんそうに帰ったあとから、陸尺《ろくしゃく》たちがふたり現われました。ふん、といったきり、ききもしないのです。入れ違いにあがってきたのは、ふたりの女中でした。
「おまえ、すきだろう。伝六、何かきいてみな」
「へ……?」
「おふたりとも、なかなかご器量よしだ。もののはずみで、どんなことにならねえともかぎらねえ。ききたいことがあったら、尋ねてみろといってるんだよ」
「はずかしいや……」
「がらかい!――よし、よし、ご苦労さまでした。もう用はありませぬ。あとはおうちのおふたりだ。すぐに来るよう申してもらいましょう」
 同じように首をかしげながら降りていったのと入れ違いに、ものやわらかなきぬずれの音が近づきました。
 妻女と娘のふたりです。母は五十くらい、あたりまえな顔だが、しかし、娘はうって変わって、寒くなるような美人でした。手、指、つめ、どこからどこまでがほっそりとしていて、青く白く、血のない女ではないかと思えるほどに、しんしんと透きとおっているのです。そのうえに震えが見える。美しい顔が、足が、かすかに波をうっているのです。
「お名まえは?」
「千萩《ちはぎ》と申します……」
「ほほう、千萩さんといいますか。いまにも散りそうな名でござりまするな」
 上から下へ、右から左へ、娘の顔とふた親の顔とを、じろり、じろりと見比べていたが、なにを見てとったか、ふいと立ち上がると、さっさと帰りじたくを始めました。
「ぞうさはござりますまい。なんとか目鼻がつきましょう。だれにもいっさい他言せぬようお気をつけなさいませよ。いいですかい。お忘れなすっちゃいけませんぞ」
 特に念を押しておくと、早いものです。すうと出ていったかと思うと、しかし、とつぜん、伝六をおどろかして命じました。
「この町内か、近くの町内に、お針の師匠はねえか、洗ってきな」
「お針……? お針の師匠というと、おちくちくのあのお針ですかい」
「決まってらあ。つり針や意地っぱりに師匠があるかい。どこの町内でも、娘があるからにゃお針の師匠もひとりやふたりあるはずだ。がちゃがちゃしねえで、こっそりきき出してきな」
「…………?」
「なにをぼんやりひねっているんだよ。おひねりだんごじゃあるめえし、まごまごしていりゃ夜がふけるじゃねえか」
「あんまり人を小バカにしなさんな。ひねりたくてひねっているんじゃねえですよ。裏を返して軸物を掛けてみたかと思や、ひとりひとり呼びあげて、ろくでもねえことをきいて、町内にお針の師匠がおったら何がどうしたというんです。ひねってわるけりゃ、もっと人情のあることをいやいいんですよ」
「しようのねえ男だな。これしきのことがわからなくてどうするかい。くれぐれもご内密にと、三庵《さんあん》先生が拝むように頼んでおるじゃねえか。だからこそ、血の一件を知らすまいと思って、わざわざ裏返しに掛けさせたんだ。裏は返しておいても、あの家の者の中にいたずらをしたやつがおったら、軸を見ただけでもぴんと胸を刺されるにちげえねえんだ。胸を刺されりゃ、自然と顔のいろも変わろうし――」
「足も震えるだろうし――」
「それだけわかってりゃ、なにも首なんぞひねるがものはねえじゃねえかよ。ほかの者はみんなけげんそうな顔をして降りていったが、あの娘だけが震えていたんだ。ばかりじゃねえ。おまえさんはあの娘の顔と親たちの顔を比べてみたかい」
「いいえ、自慢じゃねえが、あっしゃそんなむだをしねえんですよ。べっぴんはべっぴんでけっこう目の保養になるんだからね。しわくちゃな親の顔なんぞと比べてみなくとも、ちゃんと堪能《たんのう》できるんですよ」
「あきれたやつだ。だから、伝六でんでんにしんの子、酒のさかなにもなりゃしねえなんぞと、子どもにまでもバカにされるんだよ。とびがたかを産んだという話はきくが、おやじの三庵はあのとおりおでこの慈姑頭《くわいあたま》、おふくろさんは四角い顔の寸づまり、あんな似たところのねえ親子なんてものはありゃしねえ。不審はそれだ。娘のことを探るのは娘どうし、その娘っ子の寄り集まるところといや、まずてっとり早いところがお針のお師匠さんじゃねえか。三人五人と町内近所の娘が寄りゃ、あっちの娘の話、こっちの娘のうわさ、今のあの不思議な娘のことも、何かうわさを聞いているだろうし、陰口もたたき合っているにちげえねえんだ。それを探るというんだよ、それをな。ほかのところじゃねえ、女護が島を見つけに行くんだ。わかったら、勇んでいってきなよ」
「かたじけねえ。そういうふうに人情を割って話してくれりゃ、あっしだってすねるところはねえんですよ。べらぼうめ、どうするか覚えていろ。ほんとうに……! おうい、どきな、どきな、じゃまじゃねえか。道をあけな」
 べつにだれも道をふさいでいるわけではないのに、事ひとたび伝六が勇み立ったとなるとすさまじいのです。ひらひらとそでを振っていったかと思うまもなく、姿が消えました。

     4

 春近い江戸の宵《よい》は、もう風までがぬくやかでした。まちわびているところへ、飛んでかえると、目を丸めているのです。
「見つからねえのかい」
「相手は娘じゃねえですか。あっしともあろう者が、娘っ子の巣を見のがしてなるもんですかい。ふたところあるんですよ」
「そいつあ豪儀だ。この近所か」
「近所も近所も裏通りの路地に一軒、向こうの横町に一軒、裏通りは五人、向こう横町のほうは八人、お節句着物でも縫っているとみえてね、両方ともあかりをかんかんともして、いっしょうけんめいとおちくちくをやっているんですよ。いい娘のそろっているほうがご注文なら、ちっと遠いが向こう横町だ。いきますかえ」
「いい娘が見たくて行くんじゃねえ、近いほうがいいや、連れていきな」
 てがら顔に連れていったその裏通りへ曲がってみると、なるほど路地を奥へはいった一軒の表障子に、それらしい娘たちの影が見えました。
「許せよ」
 つかつかとはいっていくと、あんどんのまわりから、いっせいにふり向いた五人のお針子たちをじいっと見比べていたが、あごで示した娘が不思議なのです。
「あの右から三人めの不器量な娘だ。あそこのかどまで呼んできな」
「な、な、なんですかい。冗談じゃねえ、えりにえって、あんなおででこ娘に白羽の矢を立てなくともいいでしょう。ほかに見晴らしのいいのが、ふたりもおるじゃねえですかよ」
「大きな声を出すな。聞こえるじゃねえか。器量のいい娘のうわさに、器量のわるい娘ほど知っているものなんだ。勘のにぶいやつだ。ご苦労だがちょっと来てくれといって、おとなしく連れてきな」
 いちいちとむだのない計らいでした。にやにや笑って、伝六が連れてきたのを見迎えると、おだやかに尋ねました。
「お仕事中をおきのどくさまでしたな。隠しちゃいけませんぜ。あんたの町内はどこでござんす」
「…………?」
「こわいこたあねえ、ちょっとききたいことがあってお呼び申したんですよ。この近くのお町内ならお知りでしょうが、あそこの岡三庵先生のところのお嬢さんのことを何かご存じじゃござんせんかい」
 いぶかしそうに右門の顔を見ながめながら、おどおどと言いためらっていたが、これをみろというように伝六が横からぴかぴかと振った十手に気がついたとみえて、ふるえふるえ意外なことをいったのです。
「ほ、ほかのことは知りませぬが、なんでもお櫃《ひつ》を、おまんまを入れる大きなお櫃を、人にも見せずに毎日毎日宝物のようにして、たいへんだいじにしているといううわさでござります」
「お櫃! 中には、なにがはいっているんです」
「知りませぬ。毎晩夜ふけになるとそのお櫃をたいせつにかかえて、お女中さんをひとりお供につれて、こっそりどこかへ出ていくとかいううわさでござります」
「どこへ行くんです」
「そ、それも知りませぬ。ほかには何も存じませんゆえ、もう、もうごかんべんくださいまし……」
 言い捨てると、娘は逃げるように駆け去りました。
 聞き捨てならないうわさでした。
 名人の目が底深く微笑して、きらりと光りました。
「べらぼうめ、くせえとにらんだらあの青娘、案の定これだ、夜ふけにはまだ一刻《いっとき》近くはあろう。おいらがおじきじきに立ちん坊しちゃもったいねえや。わら人形でも見つけようぜ。ついてきなよ」
 ずんずん通りを塗町《ぬしちょう》へ 出て、土手に沿いながら歩いていると、辻占《つじうら》ア、辻占ア、というわびしい声といっしょに、土手の切れめから、ぽっかり白いあかりが浮きあがりました。
「子どもだな。ちっとかわいそうだが、張り番させるにゃかえっていいかもしれねえ。――大将大将」
 目も早いが、思いつくのも早いのです。手をあげてさし招きながら呼びよせると、ちゃりちゃりと小銭をたっぷり握らせて言いつけました。
「辻占《つじうら》はみんなおじさんが買ってやるからな。そのかわり、おまえのからだを貸しておくれ。もう少したったら、あそこのお医者のうちの内玄関か裏のほうから、女
前へ 次へ
全5ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 味津三 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング