思ったか、血がめのそのふたのつまみ柄のまわりへ、ぺたぺたとぬりつけました。それだけなのです。
「さあ、できた。ねぐらへ帰って、いい夢でも見ようぜ。きょときょとしていると、置いていくよ……」
居合い切りのようなあざやかさでした。鳴るひまも、ひねるひまも、声をはさむすきさえないのです。さっさと風のように八丁堀へ帰っていくと、ぶつぶつと口の中で何かいっている伝六をしりめにかけながら、ふくふくと夢路を急ぎました。
と思うまもなく、明けるに早い春の夜は、夢いろの暁にぼかされて、しらじらと白みそめました。同時です。ぱたぱたという足音がしののめの道にひびいて、表の向こうからあわただしく近づきました。
「つれたな……!」
ぐっすりと眠りに落ちていたかと思ったのに、さすがは名人右門、心の耳は起きていたのです。足音の近づくと同時に、がばと起きあがって待ちうけているところへ、三庵《さんあん》の家の下男が、案内も請わず内庭先へ飛び込んでくると、密封の一書を投げこみながら、そのまま急ぐようにせきたてました。
「すぐさまお運び願えとのことでござりました。なんでござりまするか、委細は手紙の中にしたためてあるそ
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