、それぞれおもいおもいの趣向をこらしながら、ともかくにも、この日一日を楽しむのがそのならわしでした。
「だからいうんだ。理のねえことをいうんじゃねえんですよ。あっしゃ無筆だから、先生も師匠も和尚《おしょう》もねえが、だんなはそうはいかねえ、物がお違いあそばすんだからね。それをいうんですよ! それを!」
 やっているのです。
 ご番所をさがって帰っての夕ぐれのしっぽりどき……伝六、でんでん、名人、むっつり、ふたりの、これは初午であろうと二十五日であろうと、年じゅう行事であるから……ここをせんどと伝六のやっているのに不思議はないが、やられている名人はとみると、あかりもないへやのまんなかに長々となって、忍びよる夕ぐれを楽しんでいるかのようでした。つまり、それがよくないというのです。
「きのうやきょうのお約束じゃねえ、もう十日もまえからたびたびそういってきているんですよ。牛込の守屋《もりや》先生、下谷《したや》の高島先生、いの字を習ったか、ろの字を習ったかしらねえが、両方から二度も三度もお使いをいただいているんだ。去年も来なかった。おととしもみえなかった。古いむかしの筆子ほどなつかしい。今度の
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