いえば未練でござりまするが、いいなずけの約束までした女じゃ、他人にとられとうはない。けれども気味のわるい長虫はいまだにやめぬ、――どうしたものかと迷っていたやさき、さいわいなことに、ここの寺はてまえたち一家の菩提寺《ぼだいじ》なのでござります。千萩がまたこの寺へ毎夜毎夜へびのえさのねずみ取りに来ることをかぎ知り、こっそりとこの寺に寝泊まりしておりまして、このとおり、毎夜毎夜ころあいを見計らっては意見に来ますけれど、千萩は相手になってもくれないのでござります。こんなものの、こんな長虫のどこがかわいいのか。く、くやしくてなりませぬ。千、千萩めが、うらめしゅうてなりませぬ……」
 美しいだけに、なお一倍千萩の長虫いじりがくやしくてならないとみえて、三之助はじわりと目がしらへ涙さえ浮かべながら、うらめしそうに、足もとのお櫃《ひつ》をにらみすえました。――目をおおい、おもてを伏せて、千萩も消え入りたげな忍び音をあげながら、しくしくと泣き入りました。
 意外な秘密が隠れていたのです。
 しかし、それにしても、床へ降ったあの血が奇怪でした。だれがしたたらしたか、千萩か? それとも三之助か――残ったなぞは、それ一つなのです。名人のさえた声が、とつぜん、えぐるように襲いました。
「憎いか! 三之助!」
「は……」
「千萩は憎いかときいておるのじゃ」
「こ、恋しゅうござります。いいえ、うらめしゅうござります。こんなに思うておるのに、人の心を知らない千萩が、ただただうらめしゅうござります……いいえ! いいえ! 千萩よりも父が憎い! 親が憎い! 実の子を捨てても他人の子をかばうような、父が、親が、もっともっとうらめしゅうござります……」
「そうか! 親が憎いか! 父がうらめしいか! では、おまえだな!」
 その恨めしさのあまりにやったいたずらにちがいないのです。名人の声が刺すように三之助の胸をつきえぐりました。
「隠しても目は光っているぞ! おまえがあんないたずらしたんだろう」
「気、気味のわるい。不意になんでござります! あんないたずらとは、なんのことでござります」
「しらっばくれるな! 父が憎い、親がうらめしいと、今その口でいったはずだ。他人の子をかばって自分を追ん出した腹いせに、あんないたずらをしたんだろう!」
「な、な、なんのことでござります! いっこうてまえにはわかりませぬが、何
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