に起こるなぞは、いわずと知れたその詮議です。
 第三には、変死人の素姓。
 それと顔いろを読みとって、ここぞとばかりしゃきり出たのは伝六でした。
「あのえ。だんな。少々ものをお尋ねいたしますがね」
「なんだ。うるさい」
「いいえ、うるさかねえ。さすがにえらいもんさ。ちょいとにらんだかと思うと、こいつア雪だとばかり、たちまち眼をつけるんだからね。あっしも雪で死んだに不足はねえが、それにしたって、なにも人が殺したとはかぎらねえんだ。自分で雪にはまったって、けっこう死ねるんだからね。気に入らねえのはそれですよ。えらそうなことをいって、もしもてめえがすき好んで凍え死んだのだったら、どうなさるんですかえ」
「しようのねえやつだな。そんなことがわからなくてどうするんだ。ひと目見りゃ、ちゃんとわかるじゃねえかよ。自分ではまって死んだものが、こんな道ばたにころがっているかい。加賀さまの雪室は、たしか七つおありのはずだ。ゆうべ運び入れたどさくさまぎれに、そのどれかへこかしこんでおいて、夜中か明けがたか、凍え死んだのを見すましてから、そしらぬ顔でここへひっころがしておいたに決まっているんだ。そんなことより、下手人の詮議がだいじだ。そっちへ引っこんでいな」
 知りたいのはまずその素姓です。ぼうぜんとしてたたずんでいる加賀家の若侍のそばへ歩みよると、なにか手づるを引き出そうというように、やんわりと問いかけました。
「なにもかも正直におあかしくだされましよ。けさほど八丁堀へわざわざおいでのことといい、こうして今ここへお立ち会いのご様子といい、特別になにかご心配のようでござりますが、貴殿、このご仁とお知り合いでござりまするか」
「同役じゃ」
「なるほど、同じ加賀家のご同役でござりまするか。このおきのどくな最期をとげたおかたは、なんという名まえでござります」
「松坂|甚吾《じんご》とおいいじゃ」
「お役は何でござります」
「奥祐筆《おくゆうひつ》じゃ」
「奥祐筆……! なるほど、そうでござりましたか」
 名人の胸にぴんとよみがえったのは、朝ほどのあの絵図面の字のうますぎたことでした。どうやら、本筋のにおいがしかけてきたのです。
「なるほど、ご祐筆とあっては、ご兄妹《きょうだい》でござりまするかおつれ合いでござりまするか知りませぬが、お身よりのご婦人も字がうまいのはあたりまえでござりましょう。あの絵図面をお書きになったご婦人は、この松坂様の何に当たるおかたでござります」
「あの書き手を女とお見破りか!」
「見破ったればこそお尋ねするのでござります。お妹ごでござりまするか」
「いいや、ご内儀じゃ」
「ほほう、ご家内でござりまするか。お年は?」
「わこうござる」
「いくつぐらいでござります」
「二十三、四のはずじゃ」
「お顔は?」
「上の部じゃ」
「なに、上の部!――なるほど、美人でござりまするか。美人とすると――」
 事、穏やかでない。いくつかの不審が、急激にわきあがりました。
 第一、夫がここで変死をしているというのに、妻なる人がちらりとも顔すら見せないことが不思議です。
 妻さえも顔を見せないというのに、目の前のこの若侍が、ただの同役というだけでかくのごとくに力こぶを入れているのが不思議です。
 第三に不審は、いまだに加賀家家中のものがひとりも顔をみせないことでした。これだけ騒いでいるのに、しかも変死を遂げているのは奥仕えの祐筆であるというのに、その加賀家が知らぬ顔であるという法はない。がぜん、名人の目は光ってきたのです。
「雪が口をきかねえと思ったら大違いだ。そのご内室に会いとうござりまするが、お住まいはどちらでござります」
「住まいはついこの道向こうのあの外お長屋じゃが、会うならばわざわざお出かけなさるには及ばぬ。さきほどから人ごみに隠れて、その辺においでのはずじゃ」
「なに、おいででござりまするか。それはなにより、どこでござります。どのおかたがそうでございます」
「どのおかたもこのおかたもない。てまえといっしょに参って、ついいましがたまでその辺に隠れていたはずじゃが――はてな。おりませぬな。おこよどの! おこよどの……! どこへお行きじゃ。おこよどの!」
 おこよというのがその名とみえて、人ごみをかき分けながら、しきりにあちらこちらを捜していたその若侍が、とつぜん、あっとけたたましい叫び声を放って、どたりとそこへ打ち倒れました。
 矢です。矢です。
 どこから飛んできたのか、ぷつりとそののどに刺さったのです。
「ちくしょうッ。さあ、いけねえ! さあ、たいへんだ! まごまごしちゃだめですよ! だんな! そっちじゃねえ、こっちですよ! いいえ、あっちですよ!」
 いう伝六がことごとく肝をつぶして、あちらにまごまご、こちらにまごまご、ひとりでわめきながら駆け回りました。そのあとから群集もうろうろと走りまわって、さながらにはちの巣をつついたような騒ぎでした。
 しかし、むっつりの名人ひとりは、にやにやと笑っているのです。
「くやしいね。なにがおかしいんですかよ! 笑いごっちゃねえですよ! 矢が来たんだ。矢が! 大将のどから血あぶくを出しているんですよ!」
「もう死んだかい」
「なにをおちついているんですかよ! せっかくの手づるを玉なしにしちゃなるめえと思うからこそ、あわてているんじゃねえですか。のそのそしていりゃ死んでしまうんですよ!」
「ほほう。なるほど、もうあの世へ行きかけているな。しようがねえ、死なしておくさ」
 じつに言いようもなくおちついているのです。のっそり近よると、騒ぐ色もなくじいっと目を光らして、その矢の方向を見しらべました。
 左からではない。
 右から来て刺さっているのです。左は加賀家の屋敷だが、その右は、道一つ隔てて、すぐに引祥寺のへいつづきでした。
 へいを越して、方角をたどって、のびあがりながら寺の境内を見しらべると、ある、ある。距離はちょうど射ごろの十二、三間、上からねらって射掛けるにはかっこうの高い鐘楼が見えるのです。
「よし、もう当たりはついた。騒ぐにゃ及ばねえ[#「及ばねえ」は底本では「及ばねね」]。死骸《しがい》にも用はねえ。若侍もこときれたようだから、仏たちはふたりともおまえらが運んでいって預かっておきな。加賀家から何か苦情があるかもしれねえが、こんりんざい渡しちゃならねえぜ。いいかい、忘れるなよ」
 居合わした自身番の小者たちへ命じておくと、その場に鐘楼詮議を始めるだろうと思いのほかに、くるりと向きかえりながら、加賀家外お長屋を目ざして、さっさと急ぎました。

     3

「腹がたつね。どこへ行くんですかよ! どこへ! 鐘楼はどうするんです! 矢はどうするんです!」
 型のごとくに、たちまちお株を始めたのは、伝六屋の鳴り男です。
「ものをおっしゃい! ものを……! くやしいね。いまさらお長屋なんぞへいったって、むだぼねおりなんだ。矢が来たんですよ! 矢が! 質屋の吹き矢の矢とは矢が違うんだ。ぷつりと刺さって血が出たからには、どやつかあの鐘楼の上からねらって射かけたにちげえねえんですよ。はええところあっちを詮議したほうが近道じゃねえですかよ」
「うるせえな。黙ってろい」
 やかましくいったのを、がんと一発みごとでした。
「いちいちと世話のやけるやつだ。むっつり右門がむだ石を打つかよ。これが桂馬《けいま》がかりのからめ手詮議、おいらが十八番のさし手じゃねえか。考えてみろい。おこよどのとかいうご新造がいたというのに雲がくれしたんだ。しめたと思って捜していたら、ぷつりと天から矢が降ってきたんじゃねえかよ。字もうめえが、ねらい矢も人にひけをとらねえとんだ巴板額《ともえはんがく》もいねえとはかぎらねえんだ。右が臭いと思わば左を洗うべし――むっつり右門きわめつきの奥の手だよ」
「ちげえねえ。うれしいことになりゃがったね。事がそうおいでなさると、伝六屋の鳴り方も音いろが違ってくるんだ。蟹穴《かにあな》、狸穴《まみあな》、狐穴《きつねあな》、穴さがしとくるとあっしがまた自慢なんだからね。ぱんぱんとたちまちかぎつけてめえりますから、お待ちなさいよ……」
 いったかと思うと、伝六自慢の一つ芸、能書きにうそはない。またたくひまに、あの奥祐筆《おくゆうひつ》松坂|甚吾《じんご》のお小屋を見つけたとみえて、左並びの三軒めの前から、しきりと手を振りました。
「おりそうか」
「いるんですよ。年もちょうど二十三、四、まさにまさしくべっぴんの女ですよ。ほらほら、あの障子に写っている影がそうです」
 なるほど、玄関わきから小庭をすかしてみると、日あたりの縁側の障子に、なまめいた女の影法師が見えるのです。
 しかし、それにしては屋のうちの静まりすぎているのが少し変でした。とにもかくにも、この家のあるじが変死を遂げたというのに、声一つ、話し声一つきこえないばかりか、人の足音、物の音もひっそり絶えて、さながらに死人の家のようでした。
「少々おかしいな。こいつ、ちっと難物かもしれねえぞ……」
 庭先からはいっていくと、静かに上がって、するすると音もなく障子をあけました。
 同時です。たたずんでいた影法師が、ぎょっとなってふり返りました。
 しかも、その顔、その色、――血のけは一つもないのです。まるで死人のように青いのです。ばかりか、全身に恐怖のいろを現わしながら、ぶるぶると震えているのです。
 じろり、じろりと、しばらく女の姿を見ながめていましたが、意外な眼です、ずばりと思いもよらぬ声が、名人の口から放たれました。
「そなた、女中だな!」
「…………」
「返事をせい! 返事を! 口はないのか!」
 だが、黙ってぶるぶると震えているばかりでした。
「唖《おし》か!」
「…………」
「唖かといってきいているんだ。耳が遠いのか!」
 いいえ、というように首をふると、不思議です。恐ろしいものをでも教えるように、黙って女がそこの小机の上を指さしました。
 歩みよってのぞいてみると、なぞのように紙片が一枚ぽつねんとのせてあるのです。
 しかも、それには容易ならぬ文字が見えました。
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「いまさらとやかく愚痴は申すまじく候《そうろう》。夫を恥ずかしめ候罪、思えばそらおそろしく、おわびのいたしようもこれなく候あいだ、せめてもの罪ほろぼしに、わたくしことも今より夫のおあとを追いまいらすべくそろ。万事はあの世へ参り、なき甚吾様にじきじきおわびいたすべく候まま、このうえわが罪の折檻《せっかん》は無用にござ候。あとあとのことはよろしく。取り急ぎ候ため、乱筆の儀はおんゆるしくだされたく候。――こよ」
[#ここで字下げ終わり]
 あて名はない。
 しかし、まさしく遺書です。
 わたくしことも今より夫のおあとを追いまいらすべく候としてあるのです。万事はあの世へ参り、じきじきにおわびいたすべく候ともしてあるのです。そのうえ、わが罪の折檻は無用にござ候という文字さえ見えました。
 どう考えても、妻女のおこよが、なんの罪か自分の罪を恐れ恥じて、みずからいのちをちぢめた書き置きとしか思えぬ紙片なのです。
「なるほど、そうか」
 ふりかえると、いまだに青ざめながらうち震えている女中に問いかけました。
「そなた、この書き置きにおどろいて、ものもいえなかったんだな。え? そうだろう。違うかい」
「そ、そ、そうでござります……」
「これを見ると、もうとうに死んでおるはずじゃが、この家のどこかに死体があるか」
「いいえ、うちには影も形も見えませぬ。この書き置きを残して、どこかへ家出なさいましたゆえ、びっくりしていたところなのでござります」
「そうか。死出の旅に家出したというか、出かけたはいつごろだ」
「ほんのいましがたでござります」
「出かけるところを見ておったか」
「いいえ、それが不思議でござります。こんなことになりましたら、もう申しあげてもさしつかえないでありましょうが、うちのだんなさまが、あの表で気味のわるい死に方をなさいましたゆえ、びっくりいたしまして、わたくし
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