右門捕物帖
子持ちすずり
佐々木味津三
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)眼《がん》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)松坂|甚吾《じんご》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「及ばねえ」は底本では「及ばねね」]
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1
その第三十六番てがらです。
事の起きたのは正月中旬、えりにえってまたやぶ入りの十五日でした。
「えへへ……話せるね、まったく。一月万歳、雪やこんこん、ちくしょうめ、降りやがるなと思ったら、きょうにかぎってこのとおりのぽかぽか天気なんだからね。さあ行きましょ、だんな、出かけますよ」
天下、この日を喜ばぬ者はない。したがって、伝六がおびただしくはめをはずしてやって来たとて、不思議はないのです。
「腹がたつね。こたつはなんです? そのこたつは! 行くんだ、行くんだ。出かけるんですよ」
「お寺参りかえ」
「ああいうことをいうんだからな。正月そうそう縁起でもねえ。きょうはいったいなんの日だと思っているんですかよ。やぶいりじゃねえですか。世間が遊ぶときゃ人並みに遊ばねえと、顔がたたねえんだ。行くんですよ! 浅草へ!」
「へへえ。おまえがな。年じゅうやぶいりをしているようだが、きょうはおまえ、よそ行きのやぶいりかえ」
「おこりますぜ、からかうと! ――ええ、ええ、そうですとも! どうせそうでしょうよ。なにかというと、だんなはそういうふうに薄情にできているんですからね。けれども、物事には気合いというものがあるんだ、気合いというものがね。よしやあっしが年じゅうやぶいり男にできていたにしても、いきましょ、だんな、どうですえと、羽をひろげて飛んできたら、よかろう、いこうぜ、主従は二世三世、かわいいおまえのことだ、――そうまではおせじを使ってくださらねえにしても、もちっとどうにかいい顔をしたらいいじゃござんせんか、いい顔をねえ」
「…………」
「え! だんな! どうですかよ、だんな!」
「…………」
「くやしいな! いかねえんですかい、だんな! え! だんな! どうあっても行かねえというんですかい」
だんだんと声をせりあげながら、だんだんと庭先から顔をせりあげて、ひょいとのぞいてみると、むっつりの名人がおかしなものをこたつの上にひろげて、しきりとのぞいているのです。
半紙一枚に書いた絵図面でした。
ここのところ本郷通り。
ここかど。
こちらへい。
ここかど。
隣、インショウジ。
ここ加州家裏門。
半紙いっぱいに書いた見取り図の要所要所へそういう文字を書き入れて、ここ加州家裏門としるしたその門の横の道に、長々と寝そべっている人の姿が見えました。
「はてね。すごろくにしちゃ上がりがねえようだが、なんですかい、だんな」
「…………」
「え、ちょっと。これはなんですかよ。人が寝ているじゃねえですか、人が……」
「うるさいよ」
「いいえ、うるさかねえ、だんな。事がこういうことになりゃ、やぶいりはあすに日延べしたってかまわねえんだ。本郷の加州家といや加賀百万石のあのお屋敷にちげえねえが、その裏門の人はなんですかい、人は! だれがそんなところへ寝かしたんですかい」
「知らないよ」
「意地わるだな。教えたっていいじゃねえですかよ」
「でも、おまえ、おいらは薄情だといったじゃねえか。どうせわたしは薄情さ、のぞいてもらわなくたっていいですよ」
「ああいうことをいうんだからね。物は気合い、ことばははずみのものなんだ。ついことばのはずみでいっただけなんですよ。主従は二世三世、だんなとあっしゃ五世六世、ふたりともいまだにひとり身でいるが不思議だが、ひょっと伝六女じゃねえかと、ひとさまが陰口きくほどの仲じゃござんせんか。あな(事件)ならあなといやいいんですよ。なんです! その長く寝ている人間は――」
「変死人だよ」
「変死人! さあ、いけねえ。とんでもねえことになりゃがったね。どこのだれが、こんなつけ届けをしたんですかい」
「あきれたやつだな。もっとまっとうにものをいいな。つけ届けとは何をいうんだよ。たった今しがた、おまえとひと足違いに若いお武家がやって来て、てまえは本郷加州家の者でござる。この絵図面にあるとおり、屋敷の裏門前に怪しい死人がござるゆえお出まし願いたいと、駆け込み訴えをして帰ったんで、さっきから不思議に思って考えているんじゃねえかよ」
「いっこうに不思議はないね。駆け込み訴えがあったら考えることはねえ。さっさとお出ましなさりゃいいでやしょう」
「しようのねえやつだな。おまえの鼻は飾りものかよ。この絵図面をかいでみな」
さしつけられた半紙をかいでみると、ぷんとかぐわしいおしろいのにおいがしみついているのです。
「はあてね。べっぴんのにおいがするじゃござんせんかい」
「だから不思議だといってるんだ。飛びこんできたのは、りっぱな男のお侍だよ。それだのに、持ってきたこの紙には、れっきとした女の移り香が残っているんだ。しかも、この手跡をみろい。見取りの図面はめっぽうまずいが、ところどころへ書き込んである字は、このとおりめっぽううまいお家流の女文字だ。さてはこいつ、手数がかかるなと眼《がん》がついたればこそ、考えこんでもいたんじゃねえか。気をつけろい。やぶいりやっこめ、おいら、同じこたつにあたっても、ただあたっているんじゃねえやい。とっととしたくしな」
「ウへへ……うれしいね。しかられて喜んでいやがらあ。このやぶいりやっこめ、気をつけろいときたもんだ。へえ、帯でござんす。お召しものでござんす。――気をつけろい、ときたもんだ。おいら同じ雪駄《せった》をはくにしても、ただはくんじゃねえやい。へえ、おはきもの! おぞうり、雪駄、お次は駕籠《かご》とござい……」
「どこにいるんだ。まだ駕籠屋来ねえじゃねえかよ」
「おっと、いけねえ。呼びに行くのを忘れちまったんだ。めんどうくせえ。行ったつもりで、来たつもりで、乗ったつもりで、あそこまで歩いていっておくんなさいましよ。――いい天気だね。たまらねえな。小春日や……小春日や……伝六女にしてみてえ、とはどうでござんす……」
行くほどに、急ぐほどに、町はやぶいり、日はぽかぽかびより、――湯島のあたり突く羽子の音がのどかにさえて、江戸はまたなき新春《にいはる》でした。
2
絵図面どおりに、引祥寺のわきから小道を折れて、加賀家裏門の前までいってみると、あたりいっぱいの人にかこまれて、なるほどその裏門の左手前に、新しいこもをかぶった長い姿がころがっているのです。
しかし、出張っているのはもよりの自身番の小役人が三人きりで、加賀家のものらしい姿はひとりも見えないのでした。
「ちと変じゃな。ずっとはじめから、おまえらだけか」
「そうでござります。加州さまのかたがたは顔もみせませぬ。知らせがあって駆けつけてから、わたくしどもばかりでござります」
不思議というのほかはない。変死人の素姓身分はどうあろうとも、たとい路傍の人であろうとも、このとおり屋敷の近くに怪しい死体がころがっているとしたら、せめて小者のひとりふたり、見張らせておくがあたりまえなのです。ましてや、駆け込み訴訟をしたものは、たしかに加州家の者と名のっているのに、その家中の者がひとりもいないとは奇怪千万でした。
「よしよし、なんぞいわくがあろう。こもをはねてみな」
気味わるそうにのけたのを近よって、じっとみると、変死人がまた奇怪です。
羽織、はかま、大小もりっぱな侍でした。
しかも、その死に方が尋常ではない。
手、足、顔、耳、鼻、首筋、外へ出ている部分は、端から端まで火ぶくれとなって、一面にやけどをしているのです。
「さあいけねえ。たしかにこいつアやけどだ。やけどだ。道ばたにれっきとしたお侍が、やけどをして死んでいるとは、なんたることです。とんでもねえことになりやがったね。気をつけなせいよ。あぶねえですぜ。眼《がん》をつけ違いますなよ」
たちまちに伝六が目を丸めました。
まことや奇怪千万、路傍にれっきとした二本差しが、やけどを負って死んでいるとは、古今にも類のないことです。
しかし、不思議なことには、全身火ぶくれとなって焼けただれているのに、着ている着物には焼け焦げ一つ見えないのでした。ばかりか、はかまも、羽織も、ぐっしょりとぬれているのです。死体のまわりの道も、また一面にぬれているのです。
「さてな。大きにおかしなやけどだが、ねえ、おい、伝あにい」
「へえ……?」
「今は冬かい」
「冗、冗、冗談いうにもほどがあらあ。とぼけたことをいうと、おこりますぜ、ほんとうに! 一月十五日、冬のまっさいちゅうに決まっているじゃねえですかよ」
「江戸は降らねえが、さだめし加賀あたりは大雪だろうね」
「なにをべらぼうなこというんです。加賀は北国、雪の名所、冬は雪と決まっているんだ。加賀に雪が降ったらどうだというんですかよ」
「べつにどうでもないが、おかしなやけどなんでね、ちょっときいてみたのさ。さてな、どのあたりかな」
突然、不思議なことをいって、伸びあがり、伸びあがり、加賀家の屋敷のもようをしきりと見しらべていたが、なにごとかすばらしい眼《がん》がついたとみえて、さわやかな笑いがのぼりました。
「ウフフ……なんでえ、そうかい。なるほど、あれか。とんでもねえやけどのにおいがしてきやがった。しかし、弱ったな。百万石のお屋敷へ素手でもはいれまいが、どなたかご家中のかたはいませんかのう……」
つぶやくようにいった声をきいて、群れたかっていた群衆のうしろから、つかつかと影が近よりました。
年のころ二十八、九の若い武家です。
なれなれしげに名人のそばへ歩みよると、なれなれしげに呼びかけました。
「さきほどは失礼、めぼしがおつきか」
「さきほどと申しますると?」
「もうお忘れか。けさほど駆け込んでいったは、このてまえじゃ」
「ああ、なるほど、そなたでござったか。貴殿ならばなおけっこうでござる。どうやらめぼしがつきましたが、ちと不思議なものでやけどをしておりますゆえ、お尋ねせねばなりませぬ。お隠しなさらば詮議《せんぎ》の妨げ、隠さずにおあかしくださりませよ。よろしゅうござりましょうな」
「申す段ではござらぬ。お尋ねはどんなことじゃ」
「加賀さまの献上雪は、たしか毎年いまごろお取り寄せのように承っておりますが、もうお国もとからお運びでござりまするか」
「運んだ段ではない。知ってのとおり、あれは日中を忌むゆえ、夜道に夜道をつづけて、ちょうどゆうべこの裏門から運び入れたばかりじゃ」
「やっぱりそうでござりましたか。たぶんもうお運びとにらみをつけたのでござりまするが、ようようそれでなぞが一つ解けました。おどろいてはなりませぬぞ。この変死人は、その雪で死にましたぞ」
「なに! 雪!――そうか! 雪で死んだと申されるか。道理でのう。凍え死んだ者はやけどそっくりじゃとか聞いておったが、雪か! 雪であったか……!」
いまさらのように目を丸めました。――献上雪は加賀百万石の名物、同時にまた江戸名物の一つです。将軍家とても夏暑いのにお変わりはない。そのお口をいやすために、加賀大納言が、加《か》、越《えつ》、能《のう》、百万石の威勢にかけて、冬、お国もとで雪を凍らせ、道中金に糸目をつけずにこれを江戸ご本邸に運ばせて、本郷のこのお屋敷内の雪室深くへ夏までたくわえ、土用さなかの黄道吉日を選んで柳営に献上するのが毎年の吉例でした。召しあがるのはせいぜいふた口か三口のことであろうが、おあがりになるおかたは八百万石の将軍家、献上するのは百万石の大納言、事が大きいのです。それをずばりと、ただのひとにらみでにらんだ名人の眼《がん》のさえもまた、たぐいなくすばらしいことでした。
しかし、それでなぞが解けきったのではない。第一は、この変死の裏に、なにごとか恐ろしいたくらみと秘密があるかないかの詮議《せんぎ》です。恐ろしい秘密があるとしたら、なにもののしわざか、第二
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