はないのか!」
だが、黙ってぶるぶると震えているばかりでした。
「唖《おし》か!」
「…………」
「唖かといってきいているんだ。耳が遠いのか!」
いいえ、というように首をふると、不思議です。恐ろしいものをでも教えるように、黙って女がそこの小机の上を指さしました。
歩みよってのぞいてみると、なぞのように紙片が一枚ぽつねんとのせてあるのです。
しかも、それには容易ならぬ文字が見えました。
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「いまさらとやかく愚痴は申すまじく候《そうろう》。夫を恥ずかしめ候罪、思えばそらおそろしく、おわびのいたしようもこれなく候あいだ、せめてもの罪ほろぼしに、わたくしことも今より夫のおあとを追いまいらすべくそろ。万事はあの世へ参り、なき甚吾様にじきじきおわびいたすべく候まま、このうえわが罪の折檻《せっかん》は無用にござ候。あとあとのことはよろしく。取り急ぎ候ため、乱筆の儀はおんゆるしくだされたく候。――こよ」
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あて名はない。
しかし、まさしく遺書です。
わたくしことも今より夫のおあとを追いまいらすべく候としてあるのです。万事はあの世へ参り、じきじ
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